【読書録】シャイフ・ハーレド・ベントゥネス『スーフィズム イスラムの心』6(終)

 最後に私が言いたいことは、私たちがここで訴えてきたことは、それを読むことで満足する人には何の価値もないということである。

(シャイフ・ハーレド・ベントゥネス『スーフィズム イスラムの心』、202)

 本編の最後の箇所である。この後、先代か何かの詩何篇かと、訳者のあとがきがあって、この本は終わる。
 結構長い時間かけて読んできて、この言葉が来たので、表面的に捉えてしまって、何だかがっくりしてしまった。
 ただ読むことには、価値がないのだろうか。
 さすがに、そこに含意されていることがわからないではない。このあとには、この書を読んだことによって、具体的な行動、実践に駆られるのでなければ、本書は意味をなさない、と続く。それはそうかもしれない。では、この後、何かこの本に影響された行動を起こすのでなければ、読むことは価値がないのだろうか。もちろん、この本をへたのちであれば、その行為、行動というのは、人間の内面的な行為というものも、大いに含まれる、ということもわかる。
 私の生活の中で、何か改宗のようなことが起こらなければ、この本を読んだ意味はないのだろうか。もちろん、そう思わないからこそ、何度も同じことを言っているのである。
 弟子に対して厳しい修行を課し、厳しく弟子が神を見る価値があるのか絶えず問い続ける、導師シャイフらしい言葉といえば、そうかもしれない。

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