【日記】ギター
昨日の日記に書いたが、仕事が終わって嫁と合流して、その足で楽器屋に行って、半ば衝動的に、半ば頭の中で計画したうえで、アコースティックギターを買った。ヤイリという。不思議な語感だ。日本でギターを買う際に、四強みたいなものがあるとしたら、その一つに入るであろうものであるらしい。今まで、何にも知ったり、調べたりしてこなかった、ギターについては。昔は、ギターとピアノは二大嫌いな楽器に入っていた。かんたんにいえば、その二つはデレク・ベイリーと、ジョン・ケージによって、乗り越えられた。逆に言えば、彼らが出てくる前の、像としてのギターやピアノ、まるでそれが単体で楽器一般であるかのような、シェアを持った姿が、あるいは楽器としての理念が、自分には承服しかねた。今思えば何と傲慢な話で、何と世間知らずで、何を知ってるというのだろうと言いたい。楽器は、結論としては、そこに置いてあるだけで、素晴らしいものだ、どんなものであっても。人間が触って、音が出る。その奇蹟は、どんな楽器であろうと、分け隔てなく存在する。うるさい理念的な話はやめよう。
ヤイリという。手作りで作られたギターの、代表格であるらしい、そう、店員が言っていた。なかば、そんなことも知らないのかという感じで、しかしそれを不快に思わせない配慮があった。支払いの手前の段で、名刺を渡された。そして、ライン交換のようなことをした。なかば信用できると言えるかもしれないが、売買の段階でこういうことを、商人とするのは、半ば怖くもあった。その店の、何と呼ぶのかは知らないが、トップクラスの店員であったらしい。それだけの導入の力があった。なかば、それに押されて買ったような所もある。自分はギターの相互の違いはわからないし、それは楽曲で聞いてもわからない、これはとくにわからない、わかる人がいるだろうか、CDに収録されるような音楽で、ギターのソロではなく、ドラムとベースが入っているような楽曲の場合、アコースティックギターのジャカジャカとした響きは、曲によっては、楽器どころか、何を弾いているのかさえ分からないくらい、なぜか、音量レベルが低い場合が多い。
そんな風で、今までギターの音を好んで聞いていたわけでもないし、楽器としてのギターにたいして、リスペクトがあったわけでもない、じゃあなんで買ったのかというと、ウクレレとの比較で、より音の自由度が高いからである。
あたりまえのことだが、ウクレレと比べて、ギターは六弦あり、そして、低音が二オクターブくらい低く、音域がそれだけ広い。
それでも、展開形を駆使すれば、ウクレレだって、同程度の雰囲気を醸し出せるはずだ。ウクレレを習得している時はそう思っていた。しかし、やればやるほど、この四弦であるということと、音域の狭さ、これが不自由に感じられてきた。コードは基本形であれば、三音あれば足りると、よく言われている。しかし、小学校で習うような、お辞儀の時の曲、あるいは唱歌みたいな、そういったものから、普段聞いているような、現代に作られているポップスを演奏するとなると、必須になる音数は四つである。いわゆるセブンスコード、あるいはベース音がコードから離れる際の、何オン何と呼ばれるコード。この、ポップスの味の決め手になる音を混ぜ込むには、四つの音が必要である。それならウクレレでも四つの弦だから足りるではないか、といわれるかもしれないが、楽器というのは、余分な場所がなければ成り立たない。ピアノで考えると、再低音のラの音、これが頻出することはなく、使われる場合は、あえてそこを狙った曲であることが多い。自然には使われない。だが、いざという時に、そこに音がなければ、余剰の空間がなければ、カツカツで演奏せざるを得ず、カッコ悪い節回しになることがある。響きは上下に広がる。靄のような空間がそこになければいけないのだ。根拠は説明しづらい、あるいは詳細に誰かが考えているだろう、だがともかく事実はそういった感じで曲が組まれていたりする。
ウクレレで、その四音が必須であるコードを弾こうとすると、それで弦がフルで使われてしまい、これが仮に押さえにくい配置になっていたり、原理的に困難であったりすると、すぐお手上げになる。そこへ行くと、ギターでそのコードを演奏した場合、さらに二つ弦が余っており、上下の展開形に対して、柔軟に対応することができる。
その辺を実感したから、購入するに至ったのだ、と、まるで楽器の必然性を知悉しているかのように語ることもできなくはないが、正直な所は、やはりその半分は衝動的、何となくほしいという理由で買ったのだといえる。
僕はどうしても音楽を、理屈で考えるところがある。もちろん音色に対する感性がないとは思っていないが、ギターに関しては弱い。だから、勧められるものに対して、ほとんど自分の感じというのを利用せず、その店員を信用して買ったという所がある。しかし、使っていて、違和感を感じるところは全くなかった。よく鳴る。ウクレレからは得られない充実感である、全体的な響きが豊かだというのは。
まだスリーコードに、毛が生えたくらいしか弾けないけれども、練習記みたいなものを書くかもしれない。