【読書録】廣瀬純『新空位時代の政治哲学』雑感
神保町のブックフェスの、出版社のセール品などの列の、「共和国」という出版社から買ったこの本を先ごろ読み終えたので、おおよそ二ヶ月くらいかかったことになる。最後の二十ページ、この本は正確に年代記の形式を取っていて、一ヶ月が三ページくらいなので、最後の一年間を残して、しばらく読み進めていなかったから、本当はもう少し早く読み終えていたかもしれない。
政治の、革命の、蜂起の、市民運動のいい勉強になった。
・中国は、資本を独占させるのではなく絶えず競争にさらすので、アメリカの金融的拡張の行き詰まりの次のシステムを構成しうるかもしれない。
・ウクライナ、ロシアの戦争は、ロシア側に資源輸出国がついている。リーダーの暴走などでは説明のつかないうねりがあった。
・現代は、フロイトがその原動力とした「抑圧」中心の精神分析では分析し切れない、構造のちがう精神にあふれている。抑圧はもう起きていない。抑圧する審級はもうない。抑圧ではなく、倒錯が中心となって、回っている。
……等々、いままで自分が持っていた確信やら信条のようなものが、それほど激しくではないにしても、突き崩れるような感覚がある。