【読書録】フーコー『精神疾患とパーソナリティ』4(終) 驚くべき二つの「効果」と一つの「操作の結果」
フーコー節、とでもいうような、独特の語法があると、昔から思っていた。曰く、今はこれこれという観念が常識となっているが、それは通時的に自明なものではなく、○○年代に起こったこれこれの出来事の効果であった、など。
今回、『精神疾患とパーソナリティ』を読み直して、初読では気付かなかった、というか、今までその初読の、途中まで読んだ時に抱いたイメージをそのまま引きずっていたのでわからなかった点が二つあった。一つは、まだこの段階のフーコーは、控えめであり、この本は学術的博物学的記述に終始していたというイメージ。
二つ目は、当時の精神医学というものが、現代よりはまだ進んでいなかったので、まだしも言い分は残されている、といったようなもの。言ってて、あまり言語化できてはいない。これが書かれたのが一九五四年。しつこいようだが。戦争に対して、フロイトがアクションをした。その十年後か二十年後で、ものすごく雑にいえば、精神分析というものの、最後の一手のようなものが、果たして文明に、戦争に対して何か出来たのだろうか、そこに関わることが出来たのだろうか、ということに対して、一つ総括しなければならない時点だったのではないか、と想像することが出来る。
当時、細かいことは除くとして、フーコーのような視点から言えば、もう十分に「科学の方針」としての精神医学の道具はそろっていたのである。
前回の続きで言うと、フロイトやその他精神分析派の定石になっていた、退行とそれを細分化した逃避の手段、それでは足りないというだけではなく、さらに、それはなるべくしてなったのだ、社会が狂気をそうならしめている、そして医学が、逆に、狂気についていくように、退行と呼ばせられている、と指摘している。
何の効果かといえば、社会が、教育という手段で、社会と個人の軋轢や矛盾みたいなものを掩蔽していた。しかしそれは、いざ社会に出たらめちゃくちゃ矛盾を感じるということにしかならなく、回顧的に過去を振り返ると見える幻影は、その教育の効果だった、こんな簡単なことではなかったかもしれないが、とにかく、社会の側が退行せざるを得ない条件を作り出した、ということではあった。
そして、
狂気がなければ、心理学は生まれえなかった。確かにそうだ。フロイトが何人かの狂人に触れなければ、あの膨大で掴みづらい、われわれの胸元も打ち貫く心理学は、構成され得なかった。だが、もっと強い力で、狂人の方が、心理学、あるシステムのようなものを導いていると言える。
だが、もうこの部分は実は、一九五四年のフーコーの言葉ではなく、この本では「補遺」としている、『精神疾患と心理学』として一九六二年に再版された、『狂気の歴史』も書き終えた時点からの言葉である。
加筆部分は、一切の妥協がない。『狂気の歴史』の力強いダイジェストが、そのまま『精神疾患と心理学』の方には、歴史的に狂気がどう取り扱われてきたか、というパートに足されている。こういってよければ、あまりにバランスが悪い。のちに、自分の『狂気の歴史』の方が最初の著作だったと強調するのは、『精神疾患とパーソナリティ』を書き直したが、結局、今ある以上の価値をこの本から取り出せなかったから、そうするのだろう。
今、並行して『狂気の歴史』も読んでいるのだが、ここまで、疾走するようにあの本の要約が突然流れて来たものだから、ちょっと戸惑っている。いわゆるネタバレというやつだが、それでダメになるようなケチな本ではないだろう。
もう一つの「効果」。
引用は前後した。
最後に「効果」だが、読んでいて寒気がした。心理学が、なぜ当時のようなテーマをめぐっていたのか。それは、狂人の人々に、罪と、暴力性と、幼児性を、押し付けるためであった。
「退行」が原動力とされたのも、この「狂人=幼児」という見方を成り立たせる為だった。
狂者を子ども扱いすると同時に、罪ある者とするためのすべての手段とは何か。
収容された狂者に、冷えたシャワーをぶっかけて、「私は正常です」「私が見えたと言った幻覚は嘘でした」と何度も言わせる。
水平に回る籠の中に狂者を入れ、気絶するまで回す。
これらが「治療」として行われていた。
難しい話は全て放っても、この事実だけは忘れるべきではないと思った。
どれだけ書き直しても、結局、フーコーが始まった後のフーコーからすると、認められる本ではなかったが、それでも、もう十分すぎるほどその萌芽はあった、『狂気の歴史』を書かしめるだけの発想は、ここに結晶していた。過渡的であるというだけではない価値があるのだが、その後の発展のためには切り捨てることも必要だったのだろう、どちらも真実だろう。結論としてはそんな感じ。