【日記】カメラと眼
写真に収めると、日常の何気ない光が意味を持つような気がする。錯覚なのかもしれない。しかし、確かにそこにある箱に、一瞬の光の蓄積があり、それが長いこと、その一瞬の時空を何年かにわたり放ち続けるというのは、確かに何かの意味を持つのかもしれない。意味というとよくわからないが、光の濃度の極端な変化が、そこに生じる、写真というのがあって初めてわかる視覚というのもある。もちろん、一番鮮明に見えるのは、眼というカメラである。しかしそれが何かを写し取っているというイメージも、やはり、カメラという箱がなければ起き得なかった。スマートフォンにはとても小さな規模だが同様の箱があり、その小ささは、やはり、現代の時空の捉え方をうつしているようにも思える、まるで点のような空間だ。必要には充分なのかもしれないが、それが箱であり眼であるということを忘れてただ視覚になろうとしている。