【読書録】プルードン『貧困の哲学』3
事実が先なのである。美しく整えるより前に、広く探求しなければならない。
(プルードン『貧困の哲学 上』平凡社ライブラリー)
ページ数をメモし忘れた。上巻の前半には違いない。
学問を始める際に、それがどんな形を成しているのか考える、またそれを成形しようとするのではなく、まず事実となることを集めよ、という文脈で語られている。
これが、小説にも言えることなのではないかと思った。
小説を書く際に、あるイメージがあり、それを書きつける、といったことより、まず自分が見聞きしたものがあるのか、それはどれだけあるのか、それをアウトプットすることが出来るのか、ということがまず試される。イメージというのは、ずっと後でよい、と、そんなことを言われている気がした。
千坂恭二という、アナキズムの思想家のような人がいる。その人をツイッターでフォローしているけれども、そのうちのほとんどのアナキストの名前は知らないか、聞いたことがあるだけという状態で、その人のツイートが流れてくるのは楽しいけれども、アナキストの誰がどう、という話になってくると、急にわからなくなる。
しかし、今回、プルードンという哲学者、その芯にはアナキズムがあるらしい、その著書をほんの少しでも読み進めることによって、いわば、肉声でも聞いたのと同じ効果があるような気がする、なんとなく、こんなことを言っている、こんなことを言いそうだ、どういう時代に生きて何を主張しているのか、なんとなくわかる、という理解のされ方があって、その千坂恭二のツイートの中に名前が出てくると、今までより少しだけ理解できたような気がしてくる。
一冊の本を読む、あるいは読みかけるだけで、見方が変わる、というこのことが、やはり読書をする醍醐味だと思う。