【日記】カレイ
何度にもわたるが、料理と鉄のフライパンに関する日記である。
本日は、昨日製作した豚肉味噌炒めをレンチンしつつ、アブラカレイのムニエルと、鶏の照り焼きを作った。けっこう、レシピを土台としつつ、量などは目分量でやっている。まず、アブラカレイのムニエル、前は「ムニエル粉」なる、シーズニングのような、でも西友で売られているような手のひらに収まるサイズではなくもう少し大きい、少し業務用のような雰囲気を出している、それを掛けるだけでムニエルの味になるという粉を掛けて作っていた。しかし、そのムニエル粉の内容物を見てみれば、バターに風味を似せられる粉や、小麦粉と若干のスパイスなど、要はあとで添加できるものばかりで構成されているのがわかった。味にもバリエーションが欲しいし、たとえばパセリを足すとか、ふつうのサラダ油で作るのとバターで作るのの味の違いを見てみるとか、そういった微調整をするためにも、ムニエル粉に頼らずにムニエルを作るということには価値がある。実際、今日作ったのはけっこうシンプルなムニエルで、小麦粉と塩コショウ、基本的にはこれで揚げるように炒めて最終段階で酒と醤油とレモン汁の混合液をフランベみたいにジューっと加えて水を揮発させて混合液の濃度を若干上げて仕上げる、というような構成なのだがその場で食べてみれば十分に旨かった。しかし、料理初心者だからそう思うのであって、この油をそもそもバターにしてみるとか(もしかしたらそれが標準なのかもしれない、そんなことも私は知らないんである)、その後にパセリとかその他香草の干したやつを加えて味の変化を見てみれば、いわゆるお店で出しているようなこれが「ムニエル」のセットであるという、どの時点なのかはわからないがとりあえずは出発点に立てるというほどの味に達するのかもしれず、まずは魚をただ焼いたということに成功したという程度なのだなと思う。ずっと、いわゆる子持ちカレイというものと、アブラカレイというもの、同じカレイなのであれば味わいや調理法も何となく一緒なのかと思っていたが、特にアブラカレイは、皮などぜんぶ剥いだ状態で、まるでエンガワのような見た目で売られている。一方で、子持ちカレイは、主に輪切りのような状態で提供される。