【読書録】保坂和志『猫が来なくなった』2
保坂和志の『猫が来なくなった』の続きを読んでいる。
あれっと思ったのだが、この短篇集に入っている、「事の次第を読んでる」は、かなり前に読んだ記憶があったのだが、さもありなん、この一篇だけ、2013年あたりに文芸誌、確か年始の、ズラッと作家名が並んでいる特大号のような時に載っていた気がする、そこで読んでいた。
他のも文芸誌に載っていたのがほとんどだったが、他のは読んでいなかった。これはやはり、自分がそれほど熱心に保坂和志を追わなくなったタイミングが影響している。
しかし、なんとなくは追っていればよかった。全体としては、この『猫が来なくなった』は、読んでおいてよかった部類の本に入る。思い出も込みで、読んだ価値があったという気がする。
最初の一篇はそうでもないが、ほとんどの章は、たぶんあえて、保坂和志が好んですぐれた文学の例に挙げていた小説を、枠として、というか、あるフレーズとか気分のようなものを、借りてきて書いている。
いくつかは、小島信夫の小説。「ある講演原稿」なんか、題名からして、「暮坂」のシリーズと、枠組みが同じであり、外面的にわかる程度に、これを下敷きにしたんだなと、アピールといっていいほどわかりやすく真似ている。
しかし、その域を超えると、急に保坂和志の調子に戻る。
カフカの有名な、「朝目が覚めると……」というのを、冒頭にそのまま使っているのもあった。しかしこれは、その後の展開をトレースしたという感じではなく、悪夢の中に閉じ込められているのか、それとも、もう外に出ているのかわからない、という気分そのものをトレースしたといった方が近い。読んでいる感覚として、本当に近いという気がするけれども、ふと気が付くと、彼の「コーリング」とかその辺の気分もここにあるようにも思えてくる。もともと、カフカからここに降りてきたのか、逆なのか、この作者風に、どちらでも良いと言ってみよう。
それから、時系列的には前だが、収録順では最後の手前になっている、「事の次第を読んでる」で、実は、僕は、このすごく短い、書評のような、講解のような体をしている小説を読んで、その時から、何年かは、このたった一篇の小説? に影響を受け続けて、半ばこの小説、というより、これと「事の次第」という、またもおなじみのベケットの元ネタの小説との複合体のようなものに、生活を規定され、縛られていたようにも感じるほど、衝撃だった。
しかし、今読み直してみると、そこまで影響を受けるか? と思えるのは、そちらの感じ方の方が正しいのではなく、昔の方が何かを感じることに敏く、その敏さのようなものが擦り切れた結果なのではないかと思う。
でも、たぶん今読み直しても、「事の次第」の方は、物凄いと思えるのではないかと思う。句読点が一切ない小説。
保坂和志は、オリジナリティというよりも、素晴らしい小説に反応して、それを化学反応させるようにして、自分の中で変化させて、そのまま世の中に放流しているような作家だと思う。主体性を無くす、名前をどんどん削ることによって、こういったスタイルに変化してきたのだろう。