【日記】昨日のことを思い出す
また、職場が忙しくなって、本を読むだの感想を書くだの、文章を書くだのの余裕がなくなってきた。
いつまでも、こんな言い訳を続けていても仕方ないのだが、忙しいものは仕方ない。
昨日も、休みだったにもかかわらず、あれをやった、これをやったという記憶がない。
昨日は、休みだっただろうか。
昨日は、朝九時頃に起きた。いつもの朝食を作るルーチンや、洗濯物などを終わらせて、ゆっくり読書していた、確か、昼の一時頃まで。
その日読んでいたのは、エルンスト・ルナンの「イエス伝」だった。岩波文庫は、奇妙に名前を省く時があり、ファミリーネームだけで著者名を表したりする、その本も、「ルナン」としかなかった、果たしてルナンとはそのルナンだけなのだろうか。また、フルネームを知りたいときに、悪いときには、本の中にどこにもヒントがないときがある、この、「そちらで情報を補完してくれ」という態度は、確実に権威主義の一端であるように、僕には思えていて、ただそんな本は最近では出ていない。
百ページ近いが、百ページにも至っていなかった気がする。
陽はやや陰っていたが充分で、どこかで写真を撮りたいと思ったので、電車で、近くのダムに向かった。
ダムと呼ぶのかわからない。上水の確保の為に、人工的に水を溜めているのには変わりないのだが、ダムのような見た目はしていない、あのアーチ型のコンクリート壁が水を力強くせき止めている、山間にあるようないわゆるダムの格好をしていない、この場合は人工池とだけ呼ぶのかもしれない、どちらにせよはっきりとした基準を知らないのだが、電車の車中で、その上水の確保の為であるとか何とかいった情報を、ウィキペディアで調べて読んでいた。電車の中では、また、ベルクソンの『物質と記憶』を読んでいた。相変わらず、頭に入って来づらい。いよいよ、観念連合論に対して、正面から切り込んでいるような箇所だった。
気がついたら、そのダムというのか貯水池というのか、そこに着いた、高い塔が見えたので、何となく取水塔かなにかなのか? と思って近づいて見てみたらぜんぜんそういうものではなく、池から離れて建っていた。