【日記】インランド・エンパイア

 デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を、中ほどまで見た。
 そんなことも知らなかったんだが、デヴィッド・リンチの最後の映画らしい。細かい映像作品はその後も作っているけれども。
 今、「映画」と名指したけれども、あれを映画と呼んでいいのか、戸惑いがある。
 価値の多寡や、承認の問題ではない。ふつうの映画と、使っている言語が完全に違う。もし、あれこそが映画なのだとしたら、あの映画しか、映画はないということになる、というほどの。
 もちろん、そんなわけはないけれども……。

 真ん中まで見ても、残り一時間半が残っている。この映画は、三時間ある。一般的な映画の長さと比べると、長い部類に入る。だが、その長さを埋めているものの、本質的な部分が、映画と言語が違うのだから、この長さも、なんだか別物のように思える……。

 象徴的な演出、というものはある。だが、象徴しかなく、中を貫いている、なんというのか、人間的理論、統一された時間、そういったものが全くない塊、というものは、今まで出会ったことがない。

 なんとなく、ヒロインの女性が、未来が見える、それを演じている、というようなことをほのめかすパートがある。だが、脈絡のない映像が、嵐のようにやってくるので、そのほのめかしは、強く印象に残るにもかかわらず、流れ去ってしまう。
 書いていて、少し、あの映画の本質が分かったかもしれない。一つ一つの場面が、とても印象的であるにもかかわらず、それを押し流すような印象が、次々と現れてくる。思考の取っ掛かりをどんどん取り外されているような感触だろうか。

 結局、大したことは言えずじまいだった。

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