【日記】楽しみ

 人々を楽しませる。人々を楽しませるものがある。それによって、人々は楽しむの、だろうか?
 毎朝テレビを見る。ニュース番組がやっている。ちょうどいいタイミングで、一日に何回かクイズが出る。当たるかどうか、当たった、外れた、などと、確かに楽しんでいるかもしれない。
 テレビを見た後、出勤日であれば出勤する。広義においては、自分の仕事も、ある意味で相手を楽しませるものと、言えるかもしれない。客がいる。客に会話を仕掛けて、客が笑うこともある。たいがい、笑わせるというほどの会話はしない。笑わせることが主眼ではないからだ。それに、毎度人を笑わせるようなことを思いつくわけではない。この、笑わないけれども楽しんでいるという状況が、あるとしたら、それをどう表現すればいいだろうか。
 そんな風でいながら、私は、仕事の合間に、道すがら見える光景を見ながら、純粋に楽しんでいる。ある意味で、進んで楽しみに行っている、という言い方というか態度の方が、近いかもしれない。
 だから、テレビのようには、風景はこちらに語りかけてこない、ということは言えるかもしれない。
 本を読む。本には、我々を楽しませるようなことが書いてある、だろうか。テレビのクイズを解くときには、それが当たった、あるいは外れたという、投機的楽しみとは別で、ポイントを溜める、溜まったポイントで景品、といえば聞こえはいいが少し在庫のだぶついている品が送られる、という経済効果があり、それは我々にとったら、遠回りはしつつもやはり投機的楽しみと言えるのかもしれないが、総合的に見て、もう少し大きい動きをしている。
 それを、我々に対する楽しみの提供であると、単純化してもいいものだろうか。
 家に帰る。料理を作る。自分で食べて、やはり、楽しむ。相手に食べさせる。食べている所を見て、相手が楽しんでいて、自分も楽しいと思う。
 寝る。死んだように、身体は、精神はそこで楽しんでいるのだろうか、悪夢をすら楽しむ、ということは、起きるのだろうか、あるいは……

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