【日記】地震

 昨日の投稿をもって、トルコ系はいったん落ち着けようと思う。
 そろそろ、本格的に、よくも知らない浅学の知識を披露することに抵抗を覚えてきた。筆は滑ってしまうが、頭が回っていない。そうすると、口はどんどん不正確なことを吐いてしまう。それを止めることができない。恐ろしいことだと思う。

 千葉で震度五強の地震が起きた。今日だったか、昨日だったか、うろ覚えだが、確か昨日だったと思う。机上に、五つの本の柱がある。文字通り、縦に平たく積んでいるのである。それぞれ、五十センチから一メートルくらい、高さがある。地震が発生した時、ちょうどそのテーブルの前にいたので、地震が発生し、まだどの程度の地震になるのかわからない時点で、それらの本を、自分の手で押さえようとして、まるで収まらないので絶望した。結果、私の住んでいる場所における震度は、二か三くらいのものだった。しかし、この震源がまさにこの場所だった場合には、今手で支えた本の柱と、押さえられなかった本の柱、五本すべてが崩れるのである。加えて、全く耐震対策をしていない、二メートルを超えている本棚が二つある。これらもすべて崩れるのである。その壊滅的な状況を想像して、そして、そんな状況は、明日にでもすぐに起きうることだとその日、触知でもするようにわかったので、耐震対策をすべきだと思って、未だにしていない。
 今していないのは、はっきりとそう思考したわけではないが、そうすぐに、たとえばそう思った翌日に来るなどとは考えていないというのがある。現実的に、そういう行動を、スケジュール的に起こせないというのも、あるかもしれない。しかし、想像しうる壊滅的状況は、そんな猶予を与えないはずである。要は、リアルにその状況を想像してはいなかった、ということになる。
 その程度のことも想像できないで、何を想像によって生み出そうとしているのか、と思ってしまう。

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