【日記】信号機

 どこかのテレビで、信号機を自宅の居室に集めることを趣味としている人を取り上げていた。どんな曰くで入手するのか知れない。金を払えばどこかで買えるものとは違う。だが、その人は業界の者でもなさそうだし金持にも見えないので、そこそこの値段で入手できるところがあるのだろう。
 また、いったい何が楽しくて、自宅の居室に信号機を置くのかも、わからないし、そこは別に構うものではない。何か楽しみがあって奇特なことを始める人は枚挙に暇がない。
 居室、普通の部屋に、実物大の信号機があると、そのスケールの違いにビックリする。ある芸術家が、ただの赤ん坊の型ではあるが、大きさだけがものすごく大きいものを作ったり、同じく成人男性を象って超巨大な像を作っていたりする人がいた。極論すれば、レヴィ=ストロースが、あらゆる芸術作品は、そのスケールを変えることにある、模倣し、少し大きさを変え、より詳細に、あるいは粗くしたものである、といったようなことを、確か『野生の思考』か何かで言っていたように思うが、それでいえば、その、場所を変えただけの、信号機が、しかも電源の切れた状態で、ただ居室にあるというその事実が、美的であるといえばそう言えなくもなかった。
 だが、我々はもう少し一歩進んで、道端で見かける信号機それ自体を見て、それが居室にある所を想像し、その信号機そのままとして美的に捉えるべきなのではないか。
 連日、よく晴れた日が続いている。

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