【日記】押井守の攻殻機動隊
誰がなんと言おうと、押井守の『攻殻機動隊』はアニメ映画では一番の名作だ。誰が何を言っているのか詳しくは知らないが、やれ衒学的で映像ありきで作っているというのは聞いたことがある、それでなにが悪い。中国の九龍城のごとく乱雑に建っているビルの間を川が流れ、貨客船がその間をゆっくりと通り抜ける。それだけで、あのシーンが見られたというだけで他に何もいらない。アヴァンとして超高層ビルの最上階にいる偉い人間を銃で乱射し粉みじんにする。それから、これ以上拘りようのない、マトリックスにもパクられた最上のオープニングが始まる。それから、謎めいて妙に渇いた空気の流れる捕り物劇がはじまって、それが一段落ついたあとが、船のシーンだ。いわば、Aパートが終わり、次のストーリーへつなげる間のシーンだ。街を映す、それ以上、飛び抜けた意図ももっていない。だが、それが何より充実していた。何かをしないという意味では無為であるが、それがゆえに、そこにだけ時間は流れる、とでも言えばいいだろうか。後のことは余り覚えていない。だんだん巨大化して、衒学的なことを海上で言っている素子のシーンなどは、半分くらいどうでもいい。とにかく、オープニングと船のシーンが見られたので、それでいい。人が人形みたいだと鬼の首を取ったように言う人もいたが、その人々はそれでなにがいけないのかおそら理解しておらず、人の深層心理を言い当てたように思っているけど絶対に誰かの受け売りだ。