【日記】記憶
風景を覚える。たとえば今日は、出しているゴミを狙うカラスや(しかし今日はプラスチックとビン・缶の日だったので、カラスが主眼としているような生ゴミは捨てられていなかった)、サドルの金属部分が完全に赤錆で腐蝕している自転車とか、公園に向かって斜めにひび割れているアスファルトの道路とか、そういったものを見掛けて、頭の中に光景として納めておく、覚えようとしていない光景も、何となくは覚えているものだが、ここまで詳細には記憶することは出来ない。これによって、大げさではあるけれども、ある時空を、頭の中に広げることができ、自分をその中に置くことができる。
しかし、体力がないので、ずっと、というのは例えば五分とか、そこまで継起する視野の映像を記憶することは出来ない。もうその次に現れた、機敏に左右を見回して交差点を渡る細身の小学生とか、勿体をつけて杖をついて歩く老人とか、大通りに面しているステーキ屋の看板とか、そういうものはどんどん抜け落ちて、今のようにやはり記憶に収めようとそのときしていなければ、消え去ってしまう。
なるべく、記憶力はよく保っておきたいとは思っているので、こういうことも、訓練すれば、より多量に、広範に行えるようになるのだろうか。
いまから何を、と、客観的には思わない所もない。だが、年齢とか、今までの習慣ではなかったからとか、そういうことで否定的に考えるのはやめようと、去年あたりから考えている。そのひとつとして、去年から、いや、おととしだったか、ウクレレを習い始めて、ある程度熟練した演奏を出来るようになった。
問題は、このように、今までの習慣になかったから、あるいは自分に得られる能力ではなさそうだから、新しいことを始めるのは疲れるからという理由で、何かを諦めてしまわないことだ。