【日記】ラーメン屋と過去

 ラーメン屋に入った。
 前に通りかかって、人気が高いみたいだから、入ってみたいと思っていたところだった。
 しかし、今日そこを目指して歩いて、着いたのではなく、この街のどこでもいいからラーメン屋に差し掛かったら食べよう、と思って探していたら、その店に通りかかったので、前に入ろうと思っていたことを思い出した、という感じの順番だった。
 ラーメン屋にもいろいろタイプがあるが、そこはシンプルな醤油ベースのスープだった、と言えばいいか。家系でも二郎系でもない、またオシャレな塩と鶏だしや鴨だし、貝だしという感じでもない。だが、昔ながらの店というほどは、古びていない。気取りがあまり感じられない店、昔ながらという旗印のもと、少し引くくらい古びているといったところのない店、だった。
 僕のラーメン屋の語彙はこれくらいのものだ。
 メニューがまたシンプルで、ラーメンと、チャーシュー麺、メインはそれだけで、トッピングの類もない。あとはビールと、ご飯が無料と書いてあるだけだった。
 店に入ると、大勢ではないものの、前に一人並んでいる状態だった。あまり否定形で描写ばかりするものでもないけれども、椅子の数を意図的に減らすことによって、店の回転率を下げ、適度に行列を作っている店、という感じはしなかった。コの字型にカウンターの席が並んでいて、人が詰め込まれているという感じで、それでも行列が出来ているのは、例外状態であったらしい、自分の後には行列は出来ず、空席がいくつかあった。しかし、空席があったのは、時間帯もあるかもしれない。入ったのが二時の境くらいで、もしかしたら、昼の開店時間がそこで終わるところだったかもしれない。営業時間を見ていなかった。自分が最終的に店を出た時まで、まだ「営業中」の立て札があった。厳密に言えば、出る時に、裏側の「準備中」が見えたのを覚えていて、表から「準備中」が見えるように裏返していなかった、ということだ。
 前の一人に空席が確保されて、自分だけが待っている時間が長かった。心理的効果もあるかもしれないが、実際に、十何人の食べている人がいて、それが流れていく直感的時間に比べて、長かったのではないかと思う。
 一人の店長格の男性と、少し年のいった女性の二人で回しているらしかった。メニューは少ないので、店員の動きは本当に限定されている。店長は、麺を茹でて上げて、返しとスープを注いで、ネギを入れる。女性の方は、ひたすらチャーシューを切っている。見ている中で、二つの棒のようなチャーシューが、客の丼の中に消えていった。チャーシューは、盛り付ける前に、小さいお椀に入れて、グラムを計られる。おそらく、普通のラーメンは何グラムで、チャーシュー麺の場合は何グラムというのが、あるのだろう。
 ただ、女性の目つきはずっと厳しかった。見ていると、簡単そうではある。チャーシューは、本当に煮崩しているような感じで、よくイメージする平たいスライスというよりは、ほぐしたバラバラの肉という感じの形をしていた。なので、切るというより、切りながら崩すという感じで、ぱっと見は、成形にそれほど手間のかかるようには見えない。
 しかし、店長のこだわりがどこかにあるのだろうか。とくに、そのお椀に肉を入れる下準備について、一見して客に分からない声のトーンで、しかし何かしら厳しいことを言っているような雰囲気が、常にあった。見ていると、その空気の悪さがこちらにまで伝わるようだった。それに対して、ものすごい反感を含んだ目つきで店長をにらみ返すのだが、表向きは、「ハイ」といい声で返事をする、という感じだった。
 よく見ると、席につきながら、ラーメンを待っている客が、自分が席に着いた時点で、半数はいた。これは、また別のラーメン屋と比較すると、多めである。少し丼の回りが遅いという感じなのだろう。女性の動きは不慣れではあるのだが、しかし年がいっていて、昨日とか、一ヶ月前に入りました、という感じはどうもしない。いや、この点は偏見なのかもしれない。
 ラーメンは、非常に美味しかった。何系と分類されないところに入ってよかったと思う。唯一標榜しているのは、にぼしのだしを取っているという所で、全く控え目だ。スープのバランスがいい。くだんのチャーシューは、スープの系統と別の、スモーキーな味わいがあった。崩れ具合もとても巧妙だった。
 僕は、前に感動するほど美味いメンマを味わったので、メンマはどうかと思ったが、メンマは自分にとったら普通だった。若干、チャーシューと同じ系統の燻製臭を感じたけれども、馴染む程度のことで、何かしらの主張をしてくるわけではなかった。
 総じて、いいラーメン体験にはなった。
 店内で、ひたすらランダムにビートルズの曲が流れていた。ビートルズは、ランダムに流すのにあまり適さないと思っている。年代によって全く印象が違うのだが、それが混ざって、コーヒー飲みながら味噌汁を飲んでいるようなミスマッチな気分になる。あのこだわりの強そうな店長の趣味なんだろうか。
 前に入ろうかと思って止めた時は、雨が降っていた。雨宿りも兼ねてラーメン屋を探していて、近くにある別の、そこは家系のラーメン屋だったのだが、そこはそれほど特徴もなく、味も普通だった。
 前にここを選んでおけばよかった、とふと思うが、今日この店に入ったことは今日が幸せになる為には必要で、前にこの店に入っていたとしても今日もここに入った可能性もあるが、今日この店をはじめて発見するということは起きなかった。過去に、もしこれをしたら、という思考は、僕は基本的にしないのだが、しはじめると何だか止まらないところがある。全て運命づけられていると、考えられる人は、そこで停止できるので、皮肉でもなくいいことだと感じる。一方で、日常的に過ぎてしまえば、そんなことはあえて取り上げなければ考えない事でもある。実際、こう書いたからとて、本気で前に入った可能性を、より最善なものとして考慮して悩んでいるわけではない。だが、無限に考えられることではある。いや、それほど考える道筋があるわけでもないかもしれない。前にこの店に入ったか、あるいは入らなかったか、その二つであり、それが現在の自分の幸福度を、どれだけ左右するのかといえば、ほとんど変えないだろう。しかし、もっと重大なことについては、あの時こうしていれば、と考えるだろうか。それも、どちらかといえば、ああする流れだった、運命だった、と諦める方の人間に分類されると思う。だが、強く何かしらの運命が働いていると信じている人間ではない。過去のことはどうしようもないので、それについてもしかして何か出来たかもしれないと考えるのは、労を多くする杞憂であると、わかっているから、いや、本当に過去は変わらないのだろうか。

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