【日記】味ではなく、値段に舌鼓を打つ

 よく見なければいけない、どこまでが戯画で、どこまでが自分の姿に染み込んでいるものなのかを。

 スローライフ的なものが流行るわけだ。お金さえあれば、誰にでも手に入るもののむなしさを解消するには、「その場にしかない」「自分が生み出した」「工業製品的ではない」などという、おそらく表層に留まる認識なのだろう、そういった考えに縋らざるをえない。

 今の、なにが価値となるのか、全く判断がつかないような幻惑的な状況の中で、それでも価値を持っていると思えるものは、自己の内部にしかない、自分の精神というものの超克、ある、持てる固有の記憶、内面に築かれた世界、そういったものの中にしかない、これは逃げ道ではあるかもしれない。

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