【日記】自分自身の、震災に対する反応
この日記は、実は何日か先まで書き溜めている状態で、日々更新されているので、テレビで収録番組を見ているのと同じような具合で、少し時差がある。
いま、一月の四日で、石川県を中心とした頻発する地震の被害から、約三日過ぎたところだ。
いろいろと思う所があり、またいろいろな人と、この地震について喋った。
発生した日のこと。まさに自分は仕事中で、移動している最中だったので、東京まで揺れたという話だったけれども、全然気づかなかった。帰って、妻が揺れたのに気付いたというので、その事を知った。
数時間経った頃だろうか。テレビの様子があまりに異様だったので、見てみると、全チャンネルが地図を表示していて、「津波」「にげろ」という表示でいっぱいだった。だいたいの状況は察したけれども、本当にどれ程の津波が来ているのか、どの程度の被害状況なのか、まだ判然としなかった。
翌朝。お正月というムードは掻き消えていて、やはり全チャンネルが、一言目にこの地震について触れる、ニュース番組であるとないとにかかわらず、という感じだった。
ここで、自分は初日の、テレビ番組の生み出している緊張感、警告音、被害の未知さなどに気圧されてしまい、また、働きづめであったことも重なって、テレビを見ていられなくなり、地方チャンネルの、静かに昔の映画を流しているチャンネルに変えたりして、ずっと情報を享受するということをやめてしまった。
これに関して、やや後ろめたい気分がなくはなかったが、何より自分の精神の健康状態の調整も大事だと思い、ほどほどにすることにした。
各種SNSでは、「今冗談を言うことを批判することは間違っている」「この状況でデマを流す人は逮捕されればいい」など、強い言葉が飛び交っていて、それにも少し疲れてしまうとともに、どんな種類の災害が起きても、同じように反応して批判してしまうというのは、今回の災害自体に対して、何かを言っているということになるのだろうか、なぜこんなに繰り返さなければならないのだろうか、と訝しい思いがした。
そして、今日が三日目になるか。朝のテレビ放送が、特番からいつものニュース番組に一斉にシフトした。だが、やはり地震について取り上げている時間が多い。自分の中で、少し余裕が生まれてきたので、被災地の状況について詳しく見聞きしたり、しんどくても、つぶれた家を見ながら、中に生き埋めになっている、あるいはもう亡くなっているかもしれない人の救助を待つだけの人の映像などを見て、その深刻さに自分の心を浸すことができたりした。
ニュースに流れて来る死者の数はどんどん増えている。この日記が公開されている時点で、どのような状況になっているのか。
自分が何らかの情報を発信できるわけではないので、この地震について触れるのは、これくらいにするかもしれない。