入院中の話

俺は高3の時に入院した。
事故とかならまああると思うけど、精神科だったから貴重な経験させていただいたなと思って今ではありがたい話だと思ってる。

いつからだろう、、、
高3の4月末に電車に乗れなくなった。
吐き気と汗が止まらなくなって降りないと死んじゃう気がして、とにかくじっとしてられなかった。
俗に言うパニック障害とかいうやつらしかった。

俺は川越に住んでたから池袋から東武東上線で帰るんだけど、成増までの11分くらいの閉塞感が耐えらなくて、何度も死にかけた。

その日は最初は友達と恵比寿でダラダラ遊んでただった。
いつものように終電近くで帰ろうとしたのに、なんだか気持ち悪い。酒飲んでもいないのに。
急行で帰るようにしてたから途中の和光市、志木、ふじみ野で、一回ずつ電車降りて帰ろうとした。
和光市の時点で限界来てて冷や汗止まらなかった。
大雨降ってて、でも気付いたらふじみ野で終電で、傘さして3時くらいかな?家に着いたのは。歩いて帰った。

昨日だけだろうと思って次の日も学校に行こうとしたけど山手線で気持ち悪くなって何だかおかしいなって思って、恵比寿で親に電話した。看護師だったから、頼りにしてた。
そしたら、学校までは歩いてでもいいから行きなって。
保健室直行しなさいって。

そしたら保健室のおばちゃんとお姉さんは昼くらいまで寝かしてくれて、帰らせてくれた。どうやったかわかんないけど、電車で川越まで帰った。そしたら、すぐ、そのまま地元の心療内科に行くことになった。

一人だったから、よくわかんないけど自律神経がおかしくなってるみたいな、要は気の持ち様だよみたいなことを言われて、安心した。

なんかよくわかんない薬処方されて、そのまま帰ってのんびりして、次の日からも普通に学校行けるかなみたいに思ってたけど次の日もホントに電車乗れなかった。

乗って、ドアが閉まった瞬間降りたい衝動に駆られちゃって、汗止まんなくなって、心臓どっかいきそうなくらいバクバクになってみたいな。各駅停車一駅乗っては降りてを繰り返して、結局学校に、てか池袋にたどり着けないままま、下赤塚くらいの駅で無理言って駅長室で寝かしてもらって無理やり帰った。

その日から学校に行くこと諦めちゃって、そんなに行けてなかったけど、その比じゃ無いくらい行かなかった。てか、卒業まで一回も授業受けてない。

だから、受験というか、普通に生きるみたいなことを諦めちゃって、もうフリーターでええんかなみたいに思って自動車学校とか通って免許取りつつバイトしながらのんびり生きてたけど、酒の量が増えてった。

そんときはコンビニバイトしてたから、朝勤と夕勤?基本的には18時からみたいなノリだったけど、朝勤終わって車校無い日は帰ってから夕方くらいまで酒飲んでみたいなそれからバイト行くっていう今では割と想像つかないくらい頭おかしい奴になってた。
酔っ払ってはいないけど昼間することなさ過ぎて酒飲んでた。

で、泣くみたいな。親の職場とかで飯食わせて貰いつつ大人の話聞かせてもらうみたいなことがよくあったんだけど、そこで、泣き出しちゃうみたいな。当時の俺には制御できなかった。本当に。
気付いたら泣いてるみたいな。
で、死にたいとか言っちゃうみたいな。
親の前なのに。

それで、気付いたらキッチンで俺は夜通しずっと泣いててってなって親が見切りつけて入院させてくれた。俺も辛かったし、親も辛かったと思う。

鬱とか、そういう病名みたいなところはどうでもいいけど、家族は最後まで見捨ててこなくて、普通に嬉しかった。姉貴が結構問題児で俺は割とほっといてもどうにかなってたタイプだったから、親がそこまで俺に手をかけてくれるとは思ってなくて、入院したくなかったけど、生きてるだけでいいよ。って言われた時は喰らって普通に泣けた。

入院するって日になってそのまま診察受けて、部屋用意するまで時間あるからって昼ご飯に埼玉では割とメジャーなチープな山田うどん母さんと二人で食べた。
安っぽくて山田うどん全然好きじゃなかったけど、そんときは普通に旨くて、その後食うことになる病院のメシの盛り抜きで100倍は美味かった。

そっからは割とあっという間で、NANAにハマって2日くらいで全話見切ったりしてたら入院生活終わったはず。
1日通信制限解除3回くらいしてた。
親に内緒にしてたけど。

でも、入院中結構苦労した。

なんか外出許可みたいなの必要で、看護師にこの日外出しますみたいな感じで、申請必要みたいな感じだった。(1日一回の1時間以内の散歩除く)
で、とにかく煙草吸えないのが辛くて当時まだ高校生だったから、院内に持ち込めなくて、最寄りの自販機の下に煙草とライター隠して、毎日散歩の時間吸うみたいなことしてた笑笑
初めて外出したとき隠すとか無理だと思ってコンビニでたまたまいた軽トラみたいなの乗ってるおじいちゃんに2本くらいしか吸ってない箱あげたもん。俺もう帰らなきゃなんでっつって。そしたらそのおじいちゃんめちゃ笑顔でありがとっつって。まだ忘れられないもん。

そんときKohhのMonochromeみたいなアルバム一生聴いてた笑笑
普通に今でも聴いちゃうし。

小手指みたいな駅まで行ってコッソリ映画みたりしてた。
でも本当に寂しかった。
基本病床には、おじいちゃんおばあちゃんしかいないし、若い奴いても本当に頭おかしくなっちゃった人しかいなくて、外から見たら俺、こんな感じなんだみたいな。

2020.08.10


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