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屋根裏部屋に住む人

「お父さん起こしてきて」
母に言われて私がするのはブザーを鳴らすことだった。
階段の途中にあるブザー。
これを押すと2階にある父の寝床に音が鳴り響く仕組みだ。
何度か押しても起きない場合は、いよいよ寝床へ起こしに行く。

部屋ではなく「寝床」と云うには訳がある。
増改築した新しい方ではなく、古い方の屋根裏部屋に父は寝ていた。
昔は障子戸があり、2つの部屋に区切られていたのだろう。
今は敷居だけ残る15畳ほどのだだっ広い空間。
右に渡り廊下があり、左に5畳くらいの父の寝床がある。
渡り廊下の奥に10畳くらいの物置スペースがあり、使わなくなった物がたくさん積み上げられている。
窓は渡り廊下に一つだけ。
薄暗くて埃っぽい、ネズミの棲家のような場所で、父は寝ていた。

彼がDIYで黒く塗ったシングルベッドと古いテレビ、ラジカセ、小さい二段の棚の下段に少しの文庫本、上段にポマードがあるだけの簡素な空間。

でもこの寝床は、悲壮感がなかった。
どこか開放的で秘密基地のような、面白みがあった。
部屋に入るとほこりと父のポマードが入り混じった匂いがする。

デザイン事務所の代表をしていた父は深夜に帰ってきて昼頃出勤する。土日以外鉢合わせないので会話をした記憶がほぼない。

私から主体的に父に声をかけたのは
「お父さん、眠れん」
だけだ。

小学3年生の頃不眠症に悩んでいた頃だ。
この家で、深夜2時まで起きているのは私と父しかいなかった。

「なんや、まだ起きとるんか。算数とか難しい本を読んだらどうや」

父の言うとおりにしたら本当に眠れた。
父親らしいことを言うこともあるもんだと感心した。

あと、毎年お誕生日にオルゴールをくれた。
最後にもらったのはメリーゴーランドのオルゴールだ。
「どれがいい?」とカタログを事前に見せられて
「これ!」と元気よく選んだのは赤と緑のド派手なカラーリングの方だった。
もう片方はパステルカラー。
「こっちの方がいいのに、これなんか」と父はつぶやいた。
今でも父の言った方にしておけばよかったと思う。私のセンスはド派手だった。

客観的に見れば、
淡いパステルカラー、綺麗な配色を好む姉の方がセンスが良いだろう。
しかし父は、私の方がセンスがいいと言ってくれた。
父が姉より私の方を褒めてくれたことは今でも誇りに思っていて
比較するのは良い教育方針ではないとわかっているが、
デザイナーとして尊敬する父に褒めてもらったことは、その後の職業選択に大いに影響している。根拠のない自信がついた。美大を出てないのに美術の道でフリーでやっていけてるのは父のおかげだ。

自分が担当した新聞広告を自慢げに見せたり、
「おれ、高田純次と友達なんだよね」と堂々と嘘をついたり、
毎日タバコを毎日二、三箱吸って、
競馬で借金したり、
給与使いこんで(家族ではなく)社員と海外旅行へ行ったり、
500円のベルトを買うのに散々悩んだ挙句買わなかったり、
親戚の家で酔っ払って「持っていけ!」とコートのポケットにみかんをたくさん入れてきたり、
羅列すると「良き父」とはかけ離れた自由人だと思う。人徳など見当たらない。
「良き母」になろうとして本来の自分を押し殺して世間を気にしていた母とは真逆だ。
父は決して「良き父」には成り下がらなかった。
でもどこか罪悪感があったのか、病気になって47歳でこの世を去った。
「これでいい」と本気で思えていたら病気にならなかったと思う。
大変騒がしく生きて、あっという間に命をまっとうした人だった。


父は、「父」という役割があてがわれても、
ずっと「彼のまま」だったのかもしれない。
家庭を持つというライフステージになってもなお、彼自身であり続けた。

もし私に「母」という役割があてがわれても、
私であり続けるのかもしれないな、なんて思う。

死んだ時は、「父」とは思えず、影が薄かったけど
父が死んだ歳と近くなってくると、
「なんだ、似てるじゃないか」
と思ってしまう。
お調子者で、すぐ怒って、質素で、異常に仕事にのめり込んで、孤独と自由を好む。
性質が妙に似ている。
家庭を持っているか持ってないかの違いなだけで。
人間として似ている。
面白いもんだ。
47歳の父と今、話をしたら、どんな言葉が紡ぎ出されるのか。
つっこんだりつっこまれたり、対等に話をするのだろうな。


こっそり父の部屋に入った時、
なんの音楽を聴いているんだろうとカセットをONにすると「ロッキーのテーマ」だった。

父も、ずっと何かと戦っていたのかもしれない。

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