悪魔人間の外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。聖書
現世は善悪の実を食べた人間つまり悪魔ばかりが集まっている世界。
現世では犯罪やトラブルが絶え間ない。
自分が生きていると思っている悪魔ばかりが集まっており、(腹の底では)自分中心に誰もが生きているからだ。
イエスは現世の悪魔人間のことを次のように言っている。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
見た目ばかり美しくしようとする人の有り様はイエスの時代も現在と同じ。実際、今の人間の内側も死人の骨であり、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
パウロは悪魔の思いについて、イエスとは別の表現で具体的に言い表している。
あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者
と表現している。
悪魔は、律法学者やパリサイ人だけではなく、悔い改めていない現世の人間は一人残らず悪魔である。イエスを偶像のように拝むクリスチャンや神父、牧師らも当然悪魔なのだが、悪魔はクリスチャンだけではない。みんな悪魔である。全員悪魔だ。イエスは次のようにも言っている。
あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、ひとごろしであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
イエスは「私はよみがえりであり、命である」と言った。
命があること、今、生きていることは神の子なのである。
状態は神の子でありながら、考え方が悪魔を受け継いでいるとということ。
善悪の実を食べて、悪魔の考えを吸い込んでしまった人間が神に還るには、悔い改めるしかないのである。