旧優生保護法に違憲判決が出たということ

 2024年7月3日最高裁判所は、旧優生保護法の下で行われた不妊手術の強制は憲法違反だとして国を訴えた裁判で、旧優生保護法は「立法時点で違憲」だったと言い渡した。

小林喜美子さん
(前略)苦労して小学校に通い、戦後、20歳で卒業した。結婚は聴覚障害者の男性と、お見合いだった。子どもが欲しかったから、妊娠したときは嬉(うれ)しかった。「男の子かな、女の子かな」。夫婦は喜び合った▼母親が突然やって来たのは翌日だった。病院に連れて行かれた。何も分からないまま、中絶と不妊の手術をされた。「母からも、お医者さんからも、何も説明はありませんでした」。赤ちゃんを失ったのが悲しくて、泣き続けた。(後略)

朝日新聞2024年7月4日朝刊「天声人語」

 1948年、敗戦から3年後、現行憲法の下で制定された旧優生保護法は、議員立法であり、衆参全会一致で可決された。この法律は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に定められたもので、本人の同意なく強制不妊手術及び強制妊娠中絶が行われた。行われた強制手術は少なくとも2万5000件。強制手術は「公益上の目的」と正当化され、52年の法改正で遺伝性ではない精神疾患患者にも範囲が拡大された。
 この旧優生保護法は、わずか約30年前1996年まで存在した。

 これは戦前の話ではなく、私たちが今生きている地続きの社会で、障害者に断種を強制する法律が全国民を代表する国権の最高機関で全会一致で可決され、48年間も存在したことを認識しなければならない。
 障害者差別や障害者は子供を産むなといった言説が流布し、障害者19人を殺害する事件が起こるなど法律は無くなっても優生思想は今なお生きている。
そして、旧優生保護法は(旧とつくように)母体保護法と名を変え、不妊手術を禁止し、中絶には配偶者の同意が必要と定め、望まない妊娠の中絶のハードルになっている。国家が個人の生殖を管理しようとする法律は名前や形を変え、いまだに現存し続けている。

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