ぼくはとことん育児に向いてないんだよ-閑話①ぼくの話-
僕は何かと君に口酸っぱく言っている事があると思う。いや、僕自身ですら、「うわぁ、ぼくうるさいな、こんなやついたらお近づきになりたくない」なんて思いながらも君に「これは大切な話だよ」とさも当然のように説教をしている自分を見下ろしている。正直、そんなぼくが僕は大嫌いだ。
君もうるさいなあ、と思っていることだろう。
けれどこれはひとつの真理でもあると思うから、君が自然とそれができるようになるまでは、僕は言い続けなきゃいけない。それが親の責任というものなんだ。
君がいつか大人になって一人でぼくらのもとを旅立つとき、困らないように、できることはなんでもしたいんだ。
僕は本当はこういうのを人に言うのは好きじゃない。その人が選んだものに対して、すべてはその人に返ってくるものだから、僕がどうこういう必要もないと思っている。
やがて伴う責任に直面して、そこから何を得てどうするかはまた、当人が決めることでもある。その人の人生だからね。
だからずっと僕はこういうのやってこなかったんだけれど、親はしなきゃいけないんだよなぁ。
すごくしんどい、辛い。
なんでぼく程度のやつがひと様の人生に口出ししなきゃいけないんだ。ぼくは神様でもないのに、世界を作った責任者でもないのに、何がいいかなんて、人間じゃ出しようもないような答えを、さも正解のように言わなきゃいけない。ああいやだ。
ぼくが君に常日頃言っている言葉の中で本当に正しい事がいくつあるっていうんだろう。それ以外はきっと、君が君なりの答えをだしていかなきゃいけないってのに。
だからぼくは、ものの見方、考え方を教えて、あとは君のうまれもっての資質、性格、才能と対話し、君の答えを出す手伝いができればいいなと思っている。
それくらいしかできないんじゃないかなとも。
いつか君が大人になったら、そりゃあもう、言いたくなくて言いたくなくて辛かったよとぜひ酒の席で泣き言をきいてくれないかな。これでも結構、頑張っているほうなんだ。僕なりにさ。
時々ぼくが、
「もう嫌だ、どうしてみんななかよくできないんだ。僕はそんなの気にしないからそれでいいじゃないか」
って放り投げているのは、そういうことなんだよ。
ぼくは大抵のことは「それでいい」って受け入れちゃう。
それに対してどうこう思ったりも特にない。あるがまま、そこに存在しているのだから。それがすべてだろうって。
けれどそれじゃあ、人と人はだめなんだよなぁ。難しいね。
人が人である限り、おそらくはこの問題から脱することはできないだろう。人は繋がるようにできていて、異なる個がつながるということは、必ず異なる部分で衝突がおきるのだから。そんなの、当たり前なんだけれどな。
まぁ、ぼくの個人的見解は置いておいて、ぼくはあまり何事も気にしない人間なんだよ。それでいいじゃないって思っちゃう。だってその通りなのに、それをどうしようっていうのさ? って。
そこに手を加えるのが好きではないんだ。
僕は混沌を愛していて、それをそのまま眺めるのが好きなんだ。そうしてきっと、このままだとああなるだろうな、こうなるだろうなと傍観、観測しながら予想して、それが当たるのを「ああやっぱり」「お、意外と僕の予想も捨てたんじゃないな」とただ眺めているのがまた好きなんだ。趣味みたいなものかな。
それじゃだめらしいので、変わろうとはしているけれど、見ているだけの方がエネルギーがいらなくてラクなんだよなぁ~。
君はどっちの方がいいと思う?
ぼくは傍観者が結構好きなんだけど、本質的には変える側なんだよね。ぼくはいつも、僕自身の本質と対極にあるものが理想なんだ。ぼくの中にはそうした、一見対極のものが実に矛盾なくごちゃごちゃの価値観として存在している。それがなぜなのか、いつか答えが出せたらいいなと思ってる。
ただ、それ自体、その人自身が変わりたくて、脱したくて、囚われていて、困っていて、助けが必要であるなら、そこの手助けくらいは何か、できることがあるならばと、手をのばしているにすぎない。
もちろん、手を伸ばしたって、見えない人には見えない、見たくない人も、掴まない人もいる。それはもう、仕方ない。その人が選んだことだから。そこまで。
そこに固執すると、救世主妄想癖のように、自分が囚われ依存して壊れてしまう。そして壊れるときは繋がっている周りを巻き込む。
昔は僕もそんな人間の一人だった。
今は伴侶や君たちによって、そこから抜け出しつつあるんだ。
つまり、君のおかげってことさ。
それくらい君は、僕に影響を与えられる凄い人なんだ。
大好きだよ。
2022/02/15 from I.