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アートまち散歩 〜三井記念美術館〜

こんにちは!
さて今日は昨年9月から長期休館していた三井記念美術館(東京・日本橋)が4月29日リニューアルオープンしたため、現在開催中の『絵のある陶磁器 ~仁清・乾山・永樂と東洋陶磁~』を見に行くことにした。

三井記念美術館は、旧財閥三井家の伝来品(日本・東洋の優れた美術品)を収蔵展示するために設立された私立美術館で、三井文庫別館が2005年10月に三井本館重要文化財建造物)7階に移転し開設した美術館だ。

三井記念美術館 外観
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
三井記念美術館 -Wikipediaより

東京メトロ銀座線 三越前駅【A7出口】より徒歩1分という好立地。
高級百貨店「三越」の名前の由来は、井家の後屋から来ていることを、私は初めて知った(笑)

 三井本館(重要文化財)のエレベーターで7階へ。
エレベーター前には2匹の鹿。

三井家は、本家にあたる総領家を含め、なんと11家に分かれているのだが、三井記念美術館には、おもに北家(総領家)、新町家、室町家伝来の文化財が収蔵されている。

なかでも円山応挙が三井家のために描いた『雪松図』、国宝2件を含む刀剣類、藤原定家の日記の一部である「熊野御幸記」、金剛右京家伝来の能面類などが著名だそうだが、今回の企画展では見ることは叶わなかった。


改めて今展『絵のある陶磁器 ~仁清・乾山・永樂と東洋陶磁~』について。

そもそも、仁清、乾山、永樂…ってどんな人??
全然予備知識なしで行ったので、

いったいどんな時代を生きたどんな人たちなのか?

そしてなぜ三井家がこんなにも彼らの作品をコレクションしていたのか?

など分からないことだらけだったので整理してみたいと思う。

【時代背景】
江戸時代初期

■野々村 仁清(ののむら にんせい)
京焼作家。自分の作品に印(サイン)を入れるということをした最初期の陶工。仁和寺の門前に窯を開き、茶人である金森宗和のもと、茶入や茶碗などの茶道具を作ったとされる。

代表作【色絵藤花文 (ふじはなもん) 茶壺】
出典:東京新聞

私の好きな並河靖之の七宝デザインのルーツはここから来ているのかな?

■尾形 乾山(おがた かんざん)
尾形光琳の弟。派手好きの光琳とは反対に、内省的で仁和寺にて参禅や学問に励む中、野々村仁清に出会い、京焼の手ほどきをうける。

代表作【白泥染付金彩薄文蓋物】
出典:Wikipedia

尾形光琳の弟だと初めて知った。

また俵屋宗達を始めとする琳派の画家として有名な尾形光琳だが、俵屋宗達とは生きた時代は約100年も違っていることにも驚いた。

そういえば今年に入り、京都の建仁寺を訪れた際に「風神雷神図屏風」(俵屋宗達)を見た。

アートにまつわる旅や散歩で出会った歴史の点たちが、こうして線に繋がる瞬間は何ともおもしろい。

(京都の建仁寺を訪れた際の様子はこちらからご覧になれます↓)

尾形乾山は、野々村仁清の流れを汲みつつも、世襲はせず、独自の表現へと探求を続けていったのだそう。

そしてさらに彼らの流れを汲んで、江戸時代後期、永樂保全という天才現る。

■永樂 保全(えいらく ほぜん)
西村(後姓は永樂)善五郎という京焼(主に土風炉、茶碗など)の家元の一つに、養子として迎えられ育った保全は、

交趾(こうし): 名称はベトナムのコーチシナ(交趾支那)との貿易で交趾船によりもたらされたことに由来する中国の焼物

古染付:中国から日本に輸出された青と白の磁器。拙さこそが味であると、日本の茶人たちに称賛されたそう。

祥瑞(しょんずい):コバルトブルーの最上級染付磁器で、緻密な紋様が特徴。13世紀マルコ・ポーロは中東産の良質なコバルトを中国に届け、今度は中国産の染付磁器をヨーロッパに持ち帰ったとされる。

金襴手: 色絵陶磁器の上に金を定着させる装飾技法、およびその作品を指す。

その他青磁、赤絵、仁清写し,高麗写しなど、
当時の中国,朝鮮,日本で高く評価されていた技の数々をことごとく習得し、さらに単なる模倣をこえてオリジナリティと時代の流行を反映した新しい茶陶を作り上げた。まさに天才だった。

そしてこの天才保全率いる永樂家の表現の自由と挑戦に対し、パトロンの役割を果たしたのが豪商三井家だったのである。

西村善五郎という家元の名が、永樂になったのも、幕末期の紀州徳川家によるもの。
三井家との関係も深く、今に至るまで約200年以上、大切にコレクションしてくれていたことを思うと本当に有難い。

こういった当時の日本の財閥のコレクションを所蔵している美術館はとてもユニークで貴重だなと思い、他にもあるか調べてみたので最後に紹介しておく。

静嘉堂文庫美術館

泉屋博古館(せんやはくこかん)
https://sen-oku.or.jp/tokyo/

と、まだあるかもだが以上となる。


今はなんでもネットで調べて知ることができるので良いこともたくさんあるが、反面知らない世界の物が輸入されてきた時の新鮮な驚きや好奇心は当時の方が勝っていたのではないだろうか?

様々な文化を取り入れ、習合させ、自分たち色にアレンジしていく力が日本人は強いと言われたりするが、今回の企画展でもそれを強く感じた。 

私も情報過多にならず、自分で体感することを大切にし、先人たちのように美を追求していけたら良いなと思う。

というわけで、今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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