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0725「串カツ田中はすごい」

日曜日に、十年ぶりくらいで串カツ田中に行った。串カツ田中は、今や株式上場してしまった、どこの街にも展開している串カツチェーンだが、上場するずっと前に、1号店が開店してすぐに、何回か行っていた。1号店は、世田谷通り沿いの自宅の結構近くにあり、馴染み深いこんな近所で、ガチの串カツが食えるようになったのか、素晴らしいなと思って食いに行った。

しばらくして「店舗増えてきたなー」などと思いながらニューヨークに移住してしてしばらくすると、2016年にマザーズに上場して、今年は東証一部に上場したらしい。すごい。世田谷通りの小さい、場末感すらある(しかし活気はあった)串カツ屋が東証一部上場っていうのはにわかに信じがたい。

長男がまだ1歳だったころ、看護師である妻が夜勤で、何か食いに行こうと思って、ベビーカーを押して開店してすぐの世田谷の1号店に行った。そのときお店には客が私と長男しかいなくて、長男が椅子で寝てしまって、寝ている長男の横で1人でハイボールを飲んだくれた記憶がある。椅子がビールの箱とかで、長男を寝せられる感じではなくて、困ってしまった記憶がある。今や東証一部上場企業の社長になった店主が、店に出ていて接客をしていた記憶がある。

1号店の開店が2008年12月というから、本当に開店してすぐだったはずだ。ちょっとしたらすぐに行列ができる店になっていて、バスで横を通ると、いつもお客さんで満員になっていた。

10年くらい経ち、久しぶりに妻の実家の近くの串カツ田中に行った。全店禁煙になって、子供を連れて行きやすいお店になったというのは聞いていた。世田谷店のビール箱は、子供がいても過ごしやすい座敷になっていて、子供が喜びそうなサービスもたくさん用意されていた。アルコールの誤飲防止ジョッキなど、とても細かい気配りがなされていて、「丁寧だなあ」と思った。

そういうのは上場もしているわけだからそういうことなのだろうが、何より「おっ」、と思ったのが、店の看板が「串カツ」だけではなく「串カツ・かすうどん」になっていたことだ。もともと、東京ではあまりメジャーでない「串カツ」というものを二度づけ禁止的な文化とともに輸入する、というのが串カツ田中のやったことだったが、「かすうどん」も同様、とても関西っぽいが東京では馴染みのない食い物だ。牛や豚のホルモンを揚げた「油かす」というものを使う。

かすうどんはここ数年結構メジャー化しつつあったのであまり驚かなかったが、店に入ってメニューを開くと、さらに驚くことになった(かすうどんに関しては、串カツの前身の店舗でも出していたらしい)。

「さいぼし」がメニューに載っていたのだ。馬肉を干したようなもので、これも関西の一部地域では親しまれてきた食い物だ。

さいぼしを店で出している店はあんまり見たことがないのでちょっと驚いた。上記のwikipediaを読むとわかるが、実はこれらの油かすやさいぼしというのは、いわゆる被差別部落で消費されてきた、昔はそういった地域の象徴ともいえる食べ物だった。私もその存在はよく知らなくて、上原善広さんの「被差別の食卓」を読んで存在を知った。

私はこの本を読んでから油かすやさいぼしを食べたが、特に油かすは本当においしい食い物だと思う。

もちろん、被差別部落に対する差別など、何の意味もないが、差別が残っているところには残っているという。そんな中、串カツ田中はたぶん結構意図的にこれらの、差別の象徴となってきた食べ物をお店でフィーチャーして、1つの食文化として前に出そうとしている。

さらにすごいと思ったのが、お店のメニューに、長い間食肉業の中心地として差別の対象となってきた地域と、そこの油かす工場で働いている人たちの写真が「産地」として顔出しでフィーチャーされていたことだ。これは、私は素晴らしいことだと思うが、同時にめちゃくちゃに、信じられないほどパンクなことなのではないかと思った。串カツ田中は、歴史にこびりついてしまった意味不明な偏見に中指を立てて、黙って価値観をひっくり返そうとしている。そしてそれをやっているのは世田谷通りの小さい店舗ではなく、全国に店舗を持つ東証一部上場企業なのだ。

串カツ田中は、表向きそんなことは全く言っていなくて、これらの食い物を「河内の特産物」としか表現していない。これは、「黙ってやる」タイプのCSR活動でもあるのではないかと思う。実際、私などがこんな記事を書いてそういう悲しい歴史をリマインドしてしまうのは、良くないことでもある。そもそも、串カツ田中の主戦場である関東には、そんな歴史を知っている人がいないからだ。そういう認識がない土地に、そういう食い物を最高に素敵なものとしてプレゼンテーションする、というのが串カツ田中の作戦、のように見える。ので、わざわざそんなことを私が書くのが迷惑な可能性すらある。そういう文脈で検索しても、何も出てこない。

しかしこれは、それでも触れざるを得ないほどかっこいいやり方だ。世田谷通りの小さい店で串カツを出してくれたあの社長は、こんなかっこいいことを考える人だったのか。 黙って何かを変えている人はかっこいい。