1016「スタンダードと古典落語」

仕事上、とても良い気づきがあってそれについて書こうとも思ったが、この日記は仕事について書く場所ではないのでやめておく。そういうのは会社用の記事として書かなくてはいけない。

昨日東京からのお客さんをジャズのライブにお連れした。私は6年もニューヨークにいるのに、完全に偏った形でしかこの街を楽しんでいなくて、たとえばニューヨークの代名詞であるミュージカルに行った経験というのは、まあ無い。クリエイター的なものを名乗っている者としてどうかと思うが、現代アートみたいなものにそんなに興味がないので、MoMAなんかにも数回しか行ったことがない。エジプトのミイラとか、歴史的資料を見るのは好きなので、メトロポリタン美術館は結構行く。ニューヨークではないけどそういう意味では、ルーブル美術館も大英博物館もわりと好きだ。その他、自分が興味がある分野についてはそこそこ掘った感がある。ニューヨークの火鍋店についてはそこそこの知識があるし、温浴施設についても詳しい方だと思う。

で、大学の頃からジャズを演奏していた人なので、私にとってのニューヨークというのは、現代アートの中心地とかそういうことではなくって、ジャズの聖地だったりする。なので、ジャズバーあるいはジャズ・クラブについてはこの6年で(独身ではないのでそんなには行けないけどそのわりには)かなり行ったと言えるし、日本から来たお客様をご案内できるとしたらジャズくらいしかなかったりする。

今回お連れした方々が、あんまりジャズを聴いたことがない人達だったので、「ジャズ・スタンダード」という概念について説明した。要するに、昔からある曲を「カバー」というか、自分なりにアレンジして演奏する、というのが「ジャズ・スタンダード」ということだろう。「『カバー』っていうことですよね?」と言われて、「あーそっか! そういえば昔の曲をやるのって、『カバー』か。」なんて思ってしまったが、「ジャズ・スタンダード」は、カバーっちゃカバーということになるだろう。なぜかというと、「カバー」というのは、同じ曲でも全く同じように演奏するというわけではないからだ。ポップ・ミュージックでも演者によって多少なりアレンジは変わるのが「カバー」なわけで、全く同じように演奏したらそれは「カバー」じゃなくって「コピー」ということになる。

ともあれ、「ジャズ・スタンダード」。いろんな曲がある。たくさんある。もともとジャズじゃなかった曲なんかもある。「Autumn Leaves(和名:枯葉)」なんかは、あれはもともとシャンソンの曲だ。キャノンボール・アダレイなんかがジャズとして「カバー」して、ジャズの曲として定着した。その他、一般でも認知されている曲でいうと、あんまり思いつかないが、なんだろう。「Moon River」とか? 「Over the Rainbow」なんかもそういうことかもしれない。「Satin Doll」とか。

この「ジャズ・スタンダード」という概念について人に説明したとき、ハッと思ったのは、「ああ、ジャズ・スタンダードって、古典落語と同じなんだな」ということだ。「Autumn Leaves」は「時そば」であり、「Satin Doll」は「初天神」なのだろう。で、たとえば、後年になってスタンダード化したような、たとえばハービー・ハンコックの「Dolphin Dance」だったら「文七元結」みたいな話なのではないか。

ジャズも落語も、共通するのは、決して過去演じられたもののコピーにはならないということで、演者によって様々な解釈とアレンジが随時、リアルタイムになされて、再現性のない形で演じられる。完全に生物(なまもの)と言っていい。

人間国宝・柳家小三治がよく言っている「その登場人物の了見になれ」みたいなのは、どういうことかというと、たぶん、落語の中に登場するキャラクターの気持ちに同化して、噺の中で起こる出来事に自然に驚き、喜び、巻き込まれる、という境地なのだろうと素人の私は理解していて、それだからこそ共感を呼び、笑いを呼ぶのだろうと思っている。その域に達すると、古典落語も新作落語もへったくれもなくて、あらゆる口演が再現性のない全く新しいものになる。

ジャズもかなりそういうところがある。言うなれば、登場人物というよりは、「音の了見になる」というか、演奏の中で、音が音に出会って自然に驚き、喜び、巻き込まれるようなところがある。

今年90歳を迎えるニューヨーク在住の伝説の日本人ジャズピアニストである秋吉敏子さん(うちの近所に住んでいる)は、去年高のインタビューで「昔の自分の方がピアノの技術はあったかもしれないけど、技術とは別に、毎日毎日、もっとうまくなりたいと思って演奏している」みたいなことを言っていた。小三治も「稽古も十分したし、もうこれくらいでいいだろう、などと思ったことは一度もない。今でも、もっと上手くなりたいと思って演っている」と言っている。

それはもう、努力というより覚悟と、あとは「性癖」に近い可能性すらある。私は死ぬまで今やっている仕事でバットを振り続けられるのだろうか。

みたいな思考がその「ジャズ・スタンダード」を人に説明した瞬間の10秒くらいで頭の中を駆け巡って、「本当は、スタンダードなんていうものはないですけどね」とか思ってしまった。