見出し画像

相撲警察と、日本のメタル・ジャーナリズムについて③

ここのところ書いている、「相撲警察と、日本のメタル・ジャーナリズムについて」、前回は、大相撲とヘヴィメタル音楽の文化的ありようの共通点、各々のプレイヤー(力士・ミュージシャン)の存在が「一般の人と差別化されている」であるがゆえに、本場所の取組や楽曲とは別のところが注目される、という特性について書いた。

今回こういうことを考えるきっかけになっているのは、若い大相撲ファンの振る舞いを注意する「相撲警察」、すなわち新参のファンに厳しいファンの存在だ。じゃあ、同じように「メタル警察」っているのかというと、それはいる。めっちゃいる。

日本でも海外でもヘヴィメタルファンの人口が一番多かったであろう1980年代から1990年代前半に、日本のメタルシーン(の言論?)をリードしたのは、ヘヴィメタル専門誌である「BURRN!」だった。当時のメタルっ子は、例外なく、「BURRN!」を購読し、「BURRN!」の巻末のアルバムレビュー(編集者が、アルバムに0点から100点までの点数をつけるという、なかなか生々しい形式)を参考にして、お小遣いを握りしめてCD屋さんに行った。非常に影響力が強い雑誌だった。

この「BURRN!」の初代編集長は酒井さんという方だったのだが、この方は良く言えば、前回言及した「様式美」を重視する人であり、悪く言えば、先鋭的な「メタル警察」的存在だった。

当時のBURRN!の表紙を多く飾っていたのは、オジー・オズボーンだったり、ジューダス・プリーストだったり、アイアン・メイデンだったり、ホワイトスネイクとかのハードロック系のバンドだった。前回述べた、長髪で革ジャン、みたいなタイプのアーティストだ。

パンテラというアメリカのヘヴィメタルバンドがある。1980年代に結成されたが、ブレイクしたのは1990年代初頭だ。当時の「BURRN!」でもフィーチャーされることになり、初めて表紙に登場することになった。そのとき、真偽は知らないが、酒井さんを中心に揉めた、ということを聞いたことがある。

パンテラのヴォーカリストのフィル・アンセルモさんは、メタルのミュージシャンには珍しく、スキンヘッドだ。そのうえで、パンテラのメンバーの普段の格好は、Tシャツに短パンだったりして、メタルというよりは、ストリートの趣があるものだった。様式美を重視する酒井さん的にそんな格好の人を表紙にするのが許せず、その号(1992年9月号)の表紙に登場したフィル・アンセルモは、いろいろあった挙げ句、なぜか柔道着を着ていた。Tシャツに短パンはアレだが、柔道着ならまあよかろう、という話があったとか無かったとか、だ。

写真は、当時の「BURRN!」の表紙について分析している下記の記事から拝借させて頂いた。懐かしく、甘酸っぱく、素晴らしい記事だ。今回私が書いている内容についても、詳述されているような気がする。

乱暴に言ってしまうと、新しいもの・様式から外れたものに対して排他的・攻撃的な空気というのが雑誌と音楽ジャンル全体に漂っていて、「メタル警察」としてジャンルをリードしていたのが「BURRN!」だ。

「BURRN!」は、そんな「メタル警察」的なスタンスを貫いた。1990年代中盤にかけては、メタルに代わって、グランジやオルタナティブ・ロックが流行った。ニルヴァーナとかスマッシング・パンプキンズとかだ。あのへんの音楽は、メタルと同様にギターの音は歪んでいたし、明らかにメタルの影響の先に発生した音楽だったが、それまでのメタルの様式美的なものとは全然相容れないものだった。カート・コバーンは鋲が打たれた革ジャンなんか着ないわけで。

「BURRN!」は、そういう新しめの音楽を徹底して扱わなかった。例外はあったものの、女性を中心としたバンドをほとんど扱わなかった。リンプ・ビズキットみたいのが出てきてもあんまり取り上げなかった。BABYMETALが世界進出しても、「BURRN!」には載らなかった。

そして、「BURRN!」にほぼ載ることが無かった、表紙になんて絶対になることのなかったグループがもう1つある。それが、「日本人のバンド」だ。

つづく。たぶん次回は少し脱線したりする。たぶんあと2回分くらいで終わる。