0328「魂の高齢化」
「あおぞら技術用語」の次のやつを校正しなくてはいけなかったので見直した。この回は、妻に「わかりにくい」と言われて止めていたものだったので、結構書き直さないといけないなと思っていたのだが(特に難しいことを一般に説明するような題材のものは、基本的に妻のOKをもらわないと世に出さないことにしている)、実際読んでみたらなかなか厳しくて、プログラミングコードをあまり丁寧に説明せずに書いちゃったりしていた。ので、その部分は全部書き直した。一昨日あたりの日記もそうなのだが、仕事でやっているもので、「変数」とか「関数」とかそういう基本的な概念は前提として書いてしまうのだけど、遠い昔の素人時代の自分を思い出すと、そんなん知らなかったから、そこはちゃんと説明しないと言葉の風情が伝わらないのでダメだ、と反省した。
「あおぞら技術用語」は10回目だ。かなりずーっとやりたかったテーマの連載で、1年ちょい続いている。単純に技術用語の説明をするのではなく、そこに漂う風情を伝えていくのが目的だ。書き始めたときから、書籍化できたらいいなーってずっと思っていて、そんな夢を抱きながら書いているが、この連載は1回4000-5000字くらいで、普通の書籍だと1冊10万字くらいらしいので、10回分だとまだ足りない。10万字って超面倒くさいな、と思う。そんな文字数書くことがないし、ちゃんとした密度で書ける気がしない。
周りに作家さんもいればライターさんもいれば、とにかくなんか本を出している人は結構いるので、みんなすげえなあと思う。
しかし、自分ではもはやほとんど印刷された書籍なんか買わないくせに、自分の書き物が仮に書籍化されることを考えると東京の家の近所のツタヤとかで平積みにされている様を想像してしまう。つまりどうせ、自分は本を出したいとかじゃなくて、自分の本を平積みしてもらいたいというややこしい欲求なんだろうなと思う。ボクはもう印刷の本なんて意味ないから出さないですよ、ってイケハヤも言ってた。
こういうツイートを見て、ああ、これは素晴らしいなあ、本当だなあと思った。
これはきっと本当にそうなんだと思うのだが、自分の場合、自分ほど大学の専攻と今やっていることが全く関係ないタイプの人もいないと思うし、実際、大学で学んだことが今の仕事に役立っているかというと1ミリも役立っていないし、そもそも大学で何かを学んだかどうかがかなりあやしい。
ので、このツイートみたいのを見たり、有識者もどきみたいな人がライフハックとか処世術みたいのを投稿して拡散しているときとか、「そんな器用な人ばかりだったら苦労しないよ」と思ってしまったりする。空気のように合理的なことを言って、わかりやすくソーシャル世論をつくったりするような人がいるけれど、一度自衛隊にでも体験入隊してボコボコにされると良いと思う。
大学生の段階でそんなに精緻に人生設計ができて、将来のために道を切り開ける人っていうのはそれだけで本当に素晴らしいが、実際のところは予定通りには全く行かないし、若い時分から戦略的に良い手を打って人生を進めてきた人なんていうのは一握りの参考にしづらいパターンなわけだから、実際のところは、成功モデルを提示するにしても、別にいろいろ外してやりたいことがみつからなくてもどうにかなるよね、という話の方が伝聞されたほうが良い。のに、日本の本屋なりソーシャルメディアなりには、ありがたい天竜人による合理的な言葉や言説が平積みされているわけで、もう本当にこの時代の若者に生まれなくってよかったと思う。
今、私が20代前半なりのこれからいろいろやっていく人だったとしたら、この謎の正しさが支配するインターネットを中心とした価値観の中で頭がおかしくなってしまうと思う。実際、以前一緒に仕事をしたことがある学生の方とか、そういう圧にやられてうまくいかなくて前に進めなくなっているような人は結構いるように見える。そこにあるのは、人口ピラミッド的な数字以上の「魂の高齢化」な気がする。「正しさ」の毒気にやられて、みんながみんな品行方正になっていく。
バイトテロみたいなものを肯定するわけではないけど、なんか目立つことをやって前に出ようとか、そういう類の「バカ」な思考っていうのは古典落語の時代から存在しているわけであって、そりゃ消費者からしたら良くないけど、ネットに湧いているニセ文化人みたいな人がわざわざ断罪するのは(ヤフコメとかその最たるもので)正しさの暴力だし、お呼びではないと思う。
バカを袋叩きにするのではなくて、「バカだなあ」と笑い飛ばせる世界のほうがたぶん良い。合理的で正しそうな金科玉条なんか、いくらだって生産できるのだ。というわけで、明日は合理的で正しそうな金科玉条をでっち上げて書いてみようと思う。