6/28-7/4 ブラインドタッチ練習用日記
6/28
昨日は英検の二次試験でニュージャージーのホテルに行ってきた。前回同じ日に準一級の一次試験を受けた長男は残念ながら二次試験に行けなかったので私だけで行ってくることになった。予約しておいたカーシェアリングの車が変更になってピックアップ場所が変わったりとか、行ったら行ったで駐車場の係のお兄さんが例によって無気力で全然車を出してくれなかったりとか、とりあえず試験前に間に合うかどうかどきどきしてしまったが、どうにか間に合った。参考までに書いておくと、ニュージャージーという場所はなかなか難しくて、ちょっと奥に行くと交通の便があんまり良くないというかアメリカらしいクルマ社会になる、つまり、地下鉄とか自転車とかでわりとどこでも行けるニューヨークの中心部とは勝手がかなり違う。ゆえにこういうちょっとしたことでも、車を借りて運転していかないといけなかったりする。
会場に向かう車の中で、町山智浩さんのアメリカのなんとかかんとかTVのYouTubeに公開されているやつの最新のやつを聞いていたが、これが、ジャズの誕生に関する話で、ものすごーーーく面白かったのと、たまたま自分たちが屋号として使っているBASSDRUM(英語読みでベースドラムにしているが日本ではバスドラムと間違えて呼ばれがち)というあの、ドラムセットの足のところについているでかいあれが、実は現代の音楽を成立させる上での強烈な技術的イノベーションだったという話が入っていて、これは別途真面目な読み物記事として書かなくてはと思った。すごく面白かった。
その内容が面白すぎて気が散ってしまって、本番の試験は自分としては75点くらいの出来だった。英検一級の二次試験というのは、最初に試験官と雑談してから1分間で提示された5つのテーマの中から1つ選んで内容を考え、その次の2分間でそのテーマについてスピーチする、というもので、英語力というよりかそういう瞬発的プレゼンテーション能力が求められるから厄介だったりする。
しゃべれそうだったのが「日本は次の10年間に国際的な政治的立場を維持できるか」というトピックしかなかったのでそれを選んだが、内容を考えようとしたときに、どんどん全然関係ないことを考えて笑えてしまって、結局何も考えていない状態で喋りだすことになった。
この「集中しなきゃいけないときにぜんぜん違うことを考えて破滅したくなる」「絶対に失敗してはいけないときに絶対にしてはならないことをして破滅したくなる」というのはたまに発現する欲求で、ラジオパーソナリティの方と話した際に「生放送中ってむしょうに放送禁止用語を叫びたくなる」と聞いてすごく納得したのを思い出す。
その破滅したくなるやつが出てしまって、あ、ダメだ終わった、と思ったが、喋りだしたら、「日本の発言力はテクノロジーにどれだけ投資するかにかかっている」みたいなことが口をついて出てきて、どうにか2分間悪くない感じで終わった。が、微妙に政治っぽい話からはずれちゃったり論旨を外した感もあったのでどうかなー、だめかもしれないなー、という感じだ。しかし、たぶん何度かやっても平均的に昨日くらいのことしかしゃべれないので、これで不合格だったら、もうちょい根本的に実力をあげないと合格できない気もする。そういう意味では絶対不合格、みたいな感触ではなく、バットを一応振れた感じはしたので、落ちたら落ちたでしょうがないかなあとも思う。
6/29
昨夜、個人的にとても悲しいことがあって、いまこれを書いているこの時間帯においても悲しみに包まれている。一つはっきりしているのは人間はいくら悲しくっても鍛錬をしていればブラインドタッチで文章を綴ることができるということだ。ブラインドタッチでその悲しみを表現することもできるし、関係のないことを打って憂さを晴らすこともできるのかもしれない。
しかし、もうこの歳になると余程のことではふさぎこみたくなるほどしんどくなることはないのではないかと思って、実際に文句をいいながらも、調子悪いとか言っておきながらも元気に生きていたんだなあと思うが、久しぶりに、いろんなことが頭に入ってこない、左から右に、何も消化されずに通過していく、ある種「脳が下痢を起こしている」ような感覚に襲われている。
頭から言葉は出てこないが、今私が文字を打っている理由はブラインドタッチの練習なので、言葉を紡ぎ出すこととかではない。なんでもいいから字を打つことだ。
というわけでとにかく字を入力する。
何を入力しようかな、と考える時間があったら文字を入力する。それがいまこの時間私に与えられたミッションだ。
しかし改めて思うのは、やはり、自分がやったことの責任は自分にあるよね、ということで、人に自分の苦労とか努力とかを理解してもらうというのはそもそも人は自分たちのことで精一杯だし、無理なんだよね、ということだ。自分だって自分の周辺の人たちがどういう気持ちで何をしているのか、アンテナを張っているつもりでも、おそらく全く気づいていないことなんてたくさんあるわけで、もうこれは、他人に期待するのは甘えだよ、ということでしかない。
45歳にもなって到達する結論ではないような気もするが、アメリカ社会というのは、まあまあそれが体現された場所だ。日本社会というのは、他人を慮るという、土台無理な行動をポーズで示していることで誤解を下敷きにしてバランスを取っている砂上の楼閣なんだと思うし、残念ながら自分が身を置いている、病院の受付のお姉さんがやる気なさそうに予約を入れたり、入れなかったりする世界がリアリティなのだろう。誰かが、日本はおとぎの国だよね、なんて言っていたが言い得て妙だし、おとぎの国というか、ネバーランドか阿片窟だなと思う。一度入ってしまうとなかなか出れない、という傾向もある。ああ、わかりにくい。わかりにくいよ神様。
6/30
昨日は寝不足が過ぎて、ミーティングの合間に意識を失うというか、流石にミーティング中ではなかったのだが、寝落ちして遅刻する、みたいなことがあった。いつもだと多少昼寝等することでどうにか帳尻を合わせているが昨日はそれもできなかった。時差というのはゆっくりと人を蝕んでいく。いまこれを書いている時点でも眠いが、今日もやらないといけないことに満ちているので起きなくてはいけない。
そんなわけで、「三体」を読みたいのだが、まとめて本などを読める時間というのは寝る直前くらいしか無く、寝る直前というのはもうほとんど寝ているというか、こうも寝不足だと30秒くらい本を読むと意識がなくなるので、全く読み進めていない。時間が全く無いわけではないが、本を読み進めるにはある程度のまとまった時間が必要で、それが週末にならないと取れない、というのが現状だ。
この週末は飛行機移動があるので一気に読める気がするが、飛行機移動中はいろいろ一気にやらなくてはいけないことがあって、それはたとえば、ここまで全く追えていない「おかえりモネ」を一気に見ることだったり、書けずに寝かしている記事を書くことだったりする。
「おかえりモネ」には全く期待していなかった。「おちょやん」が非常に良かったのもあり、過去に2作品続けて当たりだったことはなかなかないので、今回は厳しいだろうなと思っていたが、先んじて追いついている妻がリタイアせずに「結構いい」と言っている。
これが18年も連れ添った夫婦というものか、妻が良いと言った朝ドラが自分にとって悪かったことはないし、妻が悪いと言った朝ドラが良かった試しはない。そのへんの感覚が一緒だから一緒に暮らしているのか、あるいは一緒に暮らしているからそうなったのか。
一方で朝ドラ以外の領域では、趣味も嗜好も全然かぶらない傾向がある。妻は、私が自室でドアを開けた状態で「中田敦彦のYouTube大学」を聴いているといちいちドアを閉める。中田さんのしゃべり方がとてもつらいらしい。
7/1
今週末に日本に渡航するので、今朝は例の搭乗前72時間前のPCR検査を受けに行った。日本国の所定のフォームに記入して貰う必要があるのでなかなかハードルが高いし、やってくれるところも限られている。で、日本国のことではあるし日系の医療機関が安心だろうと思って予約しようとしたらどこも予約がいっぱいだった。ので仕方なく領事館のサイトに載っていたローカルのテストサイトで検査を受けた。これはなかなか大変だ。帰国後の家までのハイヤーもオリンピックの影響なのか、、、かなり予約がいっぱいのようだったがぎりぎりどうにか予約できた。
自宅の建物の一階にはドーナツ屋が入っていて、このドーナツ屋は昨年末に開店した店だ。何回か店の中に入ったことはあったが、今日はコーヒーを買いに行ったら店の中にテーブルが設置されていて店の中で食事ができるようになっていた。そうか、この店は中で食事ができる店だったのか、と初めて認識した。これから日本に渡航するわけなので、またCOVIDの真っ只中に戻っていくわけだが、今日のニューヨーク州(市ではなく州)の感染者はもはや200人台だし、ニューヨークの新型コロナは本当の本当に、収束したと言っても良いのだろう。このドーナツ屋がテーブルを出したのだから、そういうことなのだろう。
皆さん本当にお疲れさまでした、と言いたい。新型コロナだけではなく、BLMもあったし、大統領選挙もあった。実に大変だった。
時間が前後するが、そんなわけでしばらくニューヨークを空ける関係で、昨日は、いろんな余り物を友人にお届けしたりしていた。友人宅には、この状況でお祝いもできないままいつのまにか生まれて一歳になっていた子がいて、ちょうど立ち始めたくらいらしい。人の家の子供なんてあまりかわいいと思わないタイプの人間だったものだが、3人も子育てをやっていると、さすがに一歳児のかわいさというものがインプリンティングされていて、もうなんだか超かわいかった。一歳児はまじでかわいい。
その足で、文筆家の岡田育さんのところに断酒で余らせていた黒糖焼酎と芋焼酎を届けた。育さんもとても久しぶりというか緊急事態になってからは会ってなかったので、お互い生きててよかったなあと思った。発売したて新著の「我は、おばさん」をご本人から頂戴するという光栄に預かりつつ、この場所にお名前を出して本を紹介してよいか確認して許可を得た。今日は断酒しちゃってたけど今度は酒を飲みたい。
7/2
昨日は故あって、クイーンズにある倉庫に行って、以前やっていた会社の方で塩漬けになっていた荷物の整理をやりに行った。会社を始めたことがある人はそれなりにいるだろうが、こういう形で明示的に会社の死を看取るというか、会社の骨を拾うという仕事は、なかなかやる機会がないような気もする。今は別のことをやっていてそっちがすごい忙しく、別の場所で別の仕事をやっているわけなので、かつてのオフィスの備品たちを数年ぶりに目にすることになったわけだが、懐かしいものもあり、良い思い出もあり、甘酸っぱい思い出もあり、いろんなものが去来したが、よかったことと言えば、一人でこれらのものに向き合うことができたことだ。以前一緒にこの会社をやっていた人たちはもう誰もニューヨークにはいない。マリア・シュナイダーの「Bluebird」をエンディングテーマにして、AirPodsから流しつつ、倉庫の中を重い段ボール箱を持って行ったり来たりする。ものすごく重い。「なんでこんなことを一人でやってるんだろう」とも思うし、「今飲んでいるこの液体が一般的に言うところの『煮え湯』というものか」とも思ったが、過去と向き合う時間としては良い重さと良い音楽だった。
いろんな経緯はまた数年経った後にまとめて書くようなこともあるかもしれないが、世の中には属人的に終わりを迎える活動と、人が継承して拡大していく活動がある。後者は「文化」と呼ばれるものなのだろう。残りの人生は、文化をつくることに賭けていきたいと思う。
筋トレをずっとやっていて良かった。筋トレやってなかったら間違いなく腰をやってしまっていたことだろう。貴闘力がYouTubeで、力士というのは、重いものを持ち上げて全速力で運ぶものだと言っていた。照ノ富士の左上手のイメージでダンボールを抱えて前に出る。頭から当たっていくだけです。
もう2日で名古屋場所も初日だ。照ノ富士の初日の相手は先場所ギリギリの相撲で負けた遠藤だ。なかなかドキドキする相手だが、一番上位で相撲を取るということは毎日ドキドキする相手と当たることなのだから、これが場所が始まるということなのだろう。明日から日本に渡航するので、名古屋場所の期間中は家で隔離ということになる。
思えばこのブラインドタッチ日記を書き始めて1ヶ月以上経っているものの、大相撲の本場所を迎えるのは初めてなので、おそらく来週からは相撲のことしか書かなくなると思う。
7/3
ここに書いても良いこととまだあんまり書けないことがあるが、総じていまいまそんなに自分のことを書ける感じではないので、予告通り相撲のことを書くことにする。
名古屋場所の初日を前にして、大相撲的に大きなニュースとしては、高安休場か。照ノ富士を推してきている人としては、この綱取りの場所での天敵高安の休場はちょっと運命的なものも感じるが、大事なのは先場所高安に危ないところのある物言い相撲ではあったが正面から行って勝利しているということで、私は先場所のあの一番は今後しばらくの大相撲にとってかなり大事な一番だと思っていたくらいだし、それはどういう意味かというと、あの一番でまともに当たって照ノ富士が高安に勝てたらもう照ノ富士は横綱になるだろうと思っていたということだ。
相撲を中学生の頃から見ている中で何人もの横綱を見てきた。横綱というのはどういう存在かというと、なかなか勝てない相手に勝てるようになり、その他の相手には、勝つことをイメージさせるのが難しくなっていて、恐怖心すら抱かせるような存在であり、そんな感じを漂わせてきたら力士は横綱に昇進する。
で、先場所の照ノ富士は完全にそこまで行っていた。その前の春場所の段階ではまだそこまで行っていなかった。高安だけではなくて、阿武咲にも志摩ノ海にも敗北を喫した。タイプは違うものの、みんな低く当たって下から圧力を与えてくる、あるいは下から揺さぶりをかけてくる力士だ。照ノ富士の弱点は明らかにそのへんだった。春場所までの照ノ富士は、まだまだつけ入る隙のある力士だった。
春場所の段階でもそういう系の押し相撲対策はかなり進めていた感じはしていて、ゆえに隆の勝とか大栄翔とか、あのへんのうるさい存在を克服して、何より貴景勝もきっちり倒すことができた(そして、貴景勝は大関だから一筋縄ではいかないが、そのへんの相手を先場所では連続して破っているのだから、「攻略」と言って良い気がする)。ところが上記の低い相撲を取る力士にはうまく対処できていなかった。そこが横綱になるための最終関門とも見えたし、そこをどうにかしないと横綱ということにはならないと感じていた。
そこを先場所は1場所で対応して、阿武咲などには圧勝しているし、高安にも勝利した。そこをクリアできたらもう照ノ富士の時代だという感じはしていたので、先場所の高安戦は本当に重要だったのだ。
7/4
飛行機に乗って東京に来た。相撲は飛行機の上で見た。何はさておき入国に至るまでのドラクエ感と、オリンピック絡みの闇が結構すごい。しかし時差的にちゃんと時間をとったブラインドタッチの練習をするのは明日からにするので、今日はメモ書き程度にしておく。