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0820「入賞したかった」

すごく熱いサウナに入っていると、「暑い」という言葉が自然に出てくる程度には暑いが、今の私は、「忙しい」という言葉が自然に出てくる程度には忙しくて、今日はミーティングの冒頭にいよいよ脳が液状化して、なんにもしゃべれなくなっちゃう現象が発生した。しゃべるの苦手なのにずーっと無理してしゃべっているので、それが極まるとスタックオーバーフローになってしまう。いやー、いろんな人と会っていろんな仕事をやっていくのは楽しいことなんだけど、そろそろ限界だ。もう仕事の話できないなーと思っていたところで、今日はインフォバーンの井登さんとビールを飲みに行った。

普通に考えると井登さんとは仕事の話をすべきだが、井登さんは実はジャズの人だ。ジャズの人とジャズの話をする場合に、仕事の話をするのはジャズではない。そこはお互いジャズであるし、仕事の話をちらっとするにしても、決して資料を見せたりなんかしない。パワポもキーノートも、ジャズではないからだ(逆にジャズだと言えるのかもしれないが)。

それどころか、井登さんは学生ビッグバンドジャズ業界の大先輩なのだ。

学生ビッグバンドジャズ業界というものは、文字通り、各大学に存在するジャズビッグバンドサークル(大人数ジャズ)の業界で、夏に山野ビッグバンドジャズコンテストという、業界最大のコンテストが存在し、そこに向けて甲子園的にがんばる、という、ジャズのくせにわりとそういうスポーツ的な構造がある、そんな業界だ。

しかしそこはジャズなわけで、そういう各大学を横断する交流もある中で。「あそこのバンドのあのアルトサックスはやばい」とかそういう、学校を超えたスタープレイヤーも存在するし、そんな憧れのプレイヤーたちが上述の山野ビッグバンドジャズコンテストで渾身の演奏をし、プロになっていったりする。私が住んでいるニューヨークで活躍する世界的な日本人ジャズミュージシャンの中にも、学生ビッグバンド出身の人たちは多い。

で、井登さんは私が大学に入ったくらいでちょうど就職されている世代なので、実はギリギリ同時代を共有していないのだが、何しろ井登さんが所属していたのは同志社大学ザ・サード・ハード・オーケストラだ。同志社大学ザ・サード・ハード・オーケストラっていったら、高校野球で言ったらPL学園とかそういうレベルの強豪でありつつも、そこはジャズであって、強いとか弱いとかじゃなくって、めちゃくちゃかっこいいレパートリーを演奏する、関東の学生ビッグバンド野郎としては憧れのバンドだった。今も当時の「山野」のCDを持っていて、聴いたりすることがある。井登さんはそのバンドのコンサートマスター、つまり演奏上のクリエイティブディレクター、責任者をやっていた人で、仕事上のなんとかとかそれ以上に、自分が夢中になっていた世界の大先輩だ。

学生ビッグバンドジャズ業界においては、各大学で、演奏する音楽の方向が違う。私がいた東大のジャズ・ジャンク・ワークショップは、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・ジャズ・オーケストラや秋吉敏子さんのバンドのレパートリーがほとんどで、今はどうだかわからないが私たちが仕切っていた代で初めてマリア・シュナイダーの曲をやったはずだ。それから20年後、相変わらずそのへんの音楽をずっと聴いているのだから影響はでかい。で、青学はギル・エヴァンスだったり、立教はフュージョンよりだったり、東工大はラテンだったり、各大学で伝統がある。

で、井登さんがやっていたザ・サード・ハード・オーケストラでは、ジャコ・パストリアスとかカーラ・ブレイとか、ヴィンス・メンドーサとか、そういうコンテンポラリーでもある曲をよくやっていて、もう本当にめちゃくちゃかっこよくて、みんなで「山野」のCDを聴きながら「ちくしょー。同志社って、なんでこんなかっこいいんだ?」なんて語り合っていた。

そんな、ある種、雲の上の先輩とビールを飲めるだなんて、ということでいろいろなお話をお伺いした。その中で、同志社大学ザ・サード・ハード・オーケストラが、なぜあんなにもかっこよかったのか、バンドの中はどういう状況だったのか、というようなことをいろいろお聞きして、しびれた。ここで詳細を書いても誰にもわかってもらえないので書かないが、自分たちのバンドが、いくら頑張ってもどうしても山野ビッグバンドジャズコンテストで入賞(10位以内)できなかった理由も、20年目くらいでやっとわかった。ちくしょう。入賞したかった。ジャズはヒエラルキーではないけど、入賞したら嬉しかっただろうな。

そんなわけで、仕事の話はまあまあしなかったが、本来仕事の話をすべき相手とジャズの話ばっかりする、というのは、仕事中に酒を飲むのに近い堕落感があって素晴らしい。

とか、一気に書いてしまえる感じ、自分にとってあの頃は青春だったのだなあとも思いつつ、過去の青春について公共の場で一方的に書きなぐるハゲたおじさん、それが今の私だなと思う。