0426「宿便と呼ぶことにした」
昨日は、書いたとおりに飛行機に乗り遅れるという人生初の体験があり、その煽りでトロント空港近くのホテルの地下で午前2時過ぎにヘロヘロになりながら日記を書いた、というのは書いた通りで、経由地のモントリオールに向けたフライトが6:30AMであったため、部屋に戻った2時間後には家族全員で空港に向かうという展開になった。
無事、モントリオール行きの飛行機に乗って、約1時間で、予想だにしなかったモントリオールに到着した。ここまでは良かった。
モントリオール空港に着いた。そもそも昨日、エアカナダの係の人が入れてくれたニューヨーク行きの接続便までの接続時間が1時間しかない。ので急いで次の便のゲートに走る必要がある。そんなわけで、アメリカ行きの接続通路に家族5人で走る。すると途中で、「乗り継ぎ便の荷物がちゃんと次の便に積み込まれているかチェックゲート」みたいな謎の関門が出現して、そこで止められた。私たちがトロントで預けたベビーカーが次の便にまだ運ばれていないので、運ばれたことが確認できるまでここを通ることはできない、という。そんなことは知らず、システムが謎すぎるので、「急いでるからどうにかしてくれよ!」と言っても、「いやー、わからん」と言われ、「航空会社に連絡してくれよ!」と言っても「電話番号わからん」などと、比較的理不尽少なめでちゃんとしているカナダらしからぬアメリカ的な対応をされているうちに、搭乗時刻を少し過ぎたところでようやく「ベビーカー運んだから通っていいよ」ということでゲートを通る。
で、「間に合うか?!」ということで家族5人で走り始めたら、まさかの荷物検査。乗り継ぎなので、ここで荷物検査が来るとは思っていなかった。家族5人分の荷物検査はなかなか長い。
そして、「ああ、もう間に合わないかもな」と思いつつ荷物検査を抜けると、まさかのカナダ出国審査がそこに。並んで出国審査を突破したところで、既に出発時刻の5分前、ゲートに行ったら当然のごとく「もう飛行機のドア閉めちゃったわよ」と言われて、昨日に引き続き脳内を「orz」が駆け巡る。
今まで飛行機に遅れたことがなかったのに、あろうことか2日連続で遅れた。
まるで、稀勢の里がついに優勝して横綱になったと思ったら新横綱の場所でまた優勝したかのようだ。憑き物がとれたように優勝する稀勢の里。オルフェーヴルも、スプリングステークスで重賞に勝ってからは、連勝街道だった。憑き物がとれたように飛行機に乗れないうちの家族。私たちは飛行機に乗れない病に羅患してしまった。
しかし今日の遅れは私たちのせいでもなく、そもそもかなり無理な接続便を指定した(荷物検査と出国審査があることを考えると、これは無理だ)昨日のトロント空港のエアカナダの係の人もひどいことをしてくれるし、そもそもベビーカーの積み替え待ちという航空会社都合の謎のタイムロスで遅れてしまっている。
係の人に抗議しても、「いやけどもう飛んじゃったから」みたいな、すごくアメリカ的な対応をされる。アメリカで生活する中で、こういう系の対応をされた場合はもう怒ってどうにかしてもらうしかないので、「お前らがこれこれこういう対応をしてこういう状況になっていてそれは私達の責任ではない。どう補償してくれるんだ!」みたいに詰めて、午後の代替便を用意してもらいつつ、$30の子供用お食事券でお茶を濁される。家族が多いのでラウンジにも入れてもらえず、仕方ないからゲート前のロビーの床で仕事を始める。今日は全然通常業務日だから、普通に仕事をしないといけない。子供たちは完全に退屈している。カオスを通り越して、複雑系だ。
そして約5時間遅れで、ついに代替の便に乗ることができた。この便に乗っていれば、1時間ほどでニューヨークだ。
ところが、その4時間後、今、私は同じ飛行機の同じ席でこの文章を書いている。悪天候だかなんだかで、飛行機が飛ばないのだ。我々が乗り逃した朝の飛行機は、ウッヒョーとばかりにとっとと飛んで行ってしまったというのに、我々が乗った便は、飛ぶ気配がない。もはや私はこの便を「宿便」と呼ぶことにした。
子供たちはとっくに飽きて泣いたり叫んだりしている。妻は「ダイハードだね。。。」と呟いた。としまえんの有名な「史上最低の遊園地」の広告を思い出す。もはやある意味すごい。この絶望感を伝えようと思って写真を撮ろうとしたら、次男が喜び始めて、絶望感を伝えることすらできない。絶望すら、表現できない。
来週も2回飛行機に乗ることになった。ダイハード上等だ。どうせならもっと私をいじめてくれればいい、もっと追い込んでくれればいい。踏まれた麦は強くなるのだ。筋肉は裏切らない。
飛行機、もとい宿便が全然飛ばない。