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過去の自分がだいたい書いてくれていた

先日、仕事やらなんやかやで仲良くさせて頂いている方と、渋谷のスナックに行った。

その方は、「なんかいい感じのスナック」を適当に発見する能力というか「スナック嗅覚」が極めて発達した方で、この日も、ネーミングなのか佇まいなのか、前々から気になっていたという渋谷の隅っこのスナックに、もちろん初めて入り、さすがというべきかそこは若者の街・渋谷らしからぬ、とてもスナックらしい昔ながらのスナックだった。

そこにはやはり常連さんもいらっしゃって、思い思いにお店の方と談笑していた。話題の中心は、なんと言っても今年のハロウィンはえらいことになるぞ、ということだった。

私はずっと海外にいて、昨年からハロウィンは日本で過ごしているが、昨年はまだ全然コロナだったわけで、渋谷のハロウィンがどうのという話は話題に上らなかったが、今年はいよいよ「アフターコロナ」感が高まってきているし、従前どおりの渋谷のハロウィンというものが戻ってくるのだろう。そもそも久しぶりに夜の渋谷なんて歩いたけど、既にやたら人が多くて、ちょっと引いた、というか、微妙に恐怖さえ覚えた。

私が海外に移住する前は、渋谷で若者が仮装して歩き回るなんていう風習は無かった。スナックの常連さんによると、当初は渋谷区がハロウィンに人が集まることを推進していたらしい。

ただ、コロナ前の何年かのハロウィンは、集まった人たちが調子に乗って軽トラを横転させたりとかして、いつしか、渋谷のハロウィンというのは、無軌道な若者が無軌道なことをする催し物として、まるで北九州の成人式みたいなポジションになっているっぽい。

以前は海の向こう側から眺めているだけだったが、今回、スナックのお店の人や常連さんたちが、当日の混乱を憂えているのに実際に触れて、最近の日本の「ハロウィン観」というものが、アメリカ等における本来のハロウィン文化とはかなり違ってきているなあと改めて感じたので、それについて文章にしようと思った。

が、なんとなく、3年前、ここに毎日文章を書いていた頃にその手のことを書いたような記憶がうっすらあって探してみたら、さすが自分自身というべきか、今日書こうと思っていたことを全部書いてくれていた。すごい。

アメリカのハロウィンほど、愛すべきイベントはない。アメリカのハロウィンには、アメリカの良さが凝縮されている。

10年以上前に日本で放送されていた「灰羽連盟」というアニメがあり、その中に出てくる「過ぎ越しの祭」という劇中のお祭りが非常に好きで、アメリカのハロウィンには、ノリは違うもののそれに近い暖かみがある。ということで、「過ぎ越しの祭」について書こうと思ったら、それも、過去の自分が書いてくれていた。すごい。

日本出張中のアンニュイな気分が描かれている。ああ、こんな日もあったなあ。懐かしい。

3年前のハロウィン当日の記事はこれだ。なぜか貼ってあるインスタグラムの写真が消えているのでここに貼っておくが、私はピクルスの格好をしてお菓子を配った。

この日は、2019年のハロウィン。次の年からは、言わずもがな、アメリカでも人が集まることはできなくなった。昨年のハロウィンは日本で過ごした。いつしか、長男は親とハロウィンなんかで出かけるのは嫌がるような年になった。

だからこの記事の日が、恐らく、家族みんなでニューヨークの街でお菓子をもらって、お菓子を配った最後の日だった。愛すべき、楽しかった日のことが書かれている。

今日、これを読み返してみて、心底記録しておいて良かったと思った。いつか、子どもたちがこれを読むこともあるかもしれない。

なんだかんだ、文章を書いとくと良いことがある。