私たちは「流れ」に耽溺している
ここのところ、何か発信したくても、自作のソーシャルネットワークであるstateに、すぐ消える便所の落書きとしてアウトプットすれば良いや、というのが大雑把な気分で、実際それで事足りていたので何か対外的に発信しない感じだった。
しかし、それをしないことでstateやってくれている人以外にとって、何もやってない人みたく見えていることがわかったし、何もやっていないわけでもなければ何も考えていないわけでもないので、週一くらいか、何か書くことにする。以前のように毎日とかは無理。
ルールとしては、オチをつけることに頑張りすぎないこと、強調したいところを太字にしないこと。
ジャズピアノを習うようになって、その流れで作曲をやるようになり、その余波で電子音楽をリリースするようになった。
アルバムを一枚?つくってみて、即時に自分の音楽力が枯渇した感もあるので、もっと良いものをつくりたくて、人の曲を解析したり、耳コピしたりする、ということを学んでいる。
音というのは言うまでもなく自然現象の一つで、そんな自然現象の秘密をもっと知りたいし、聴き手としても成長したい。と言っても、ここ一年ピアノの練習以外の音楽活動(作曲とかミックスとか)に使っていた1日20分のルーティーンを勉強に充てているだけなので、普段の結構忙しい本業生活に支障を出さないラインでふんわりやっているだけではある。
何はともあれ、ピアノの練習と併せ技で、これはものすごく面白い。かなり昔の歌謡曲なんかでも、とても賢い、聴き手の感情を煽ったりすかしたりする、狙った技巧が組み込まれていたりする。昔の人もこんなことを狙って音楽を構成していたのか。人類すごい。
人にストレスを与えて引っ張りつつ、あるタイミングで解放する。思いもしないタイミングで美しさとか楽しさとか悲しさとかを注入して人を揺さぶる。同じ流れを反復して何回目かで外して驚かす。
音楽は時間芸術というか、「流れがある」芸術だから、技術的に流れをコントロールして、ユニークな流れを生み出すものなのだと思う。ゆえに、音楽で学ぶことの一つは、「流れ」の技術と仲良くなることなのだと思う。
そしてこれは、音楽に限らない「流れがある」芸事すべてに通ずるものだ。当然、映像にしたってそうだし、落語も漫才もあてはまる。遊園地のアトラクションなんかもそうだ。私の場合、プレゼンテーションなんかはかなり共通項がある。あと、文章もそうだ。コース料理なんかもそうだろう。
面白いところだと、ギャンブルなんかは、バカラみたいな丁半博打であっても、本当は存在しないかもしれない「流れ」を存在することにして読む、という側面が結構ある。競輪なんかだと人間関係がつくる流れを読むところがある。あと、旅なんかも、予測不能な流れとの邂逅を楽しむ面が多分にある。
社会のそこかしこにそういった「流れの技術」「流れの快楽」が育って根を張っていることを考えると、人というのは「流れ」に耽溺している動物なのかもしれない。
こういう「流れ」の認知がどの程度人間特有なのかは知らないが(「サピエンス全史」の虚構の獲得みたいな話と近いのかもしれない)、すっかり流れに耽溺した種の一個体としての私はそれに魅了されているから音楽を聴くし、演奏するし、つくるし、知りたいと思う。そして、仕事でも私生活でも、「流れ」について考え、淫している。
これ書いてる途中に突然発表されたのでmixi2始めました。こちらから参加できます。
https://mixi.social/invitations/@qanta/2rYnhgXxZ8y8jHoYZ78qqZ
みたいな文言をいきなり入れて突然「流れ」を壊すのも、それを愉しむのも私たちの特権なのだろう。mixi2は、スレッズとかブルースカイとかよりも初動段階での距離感が良いので、日本ではうまく行くかもしれない。誰か大相撲コミュニティをつくってください。私はボイラー技士コミュニティをつくりました。