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0127「『ハンチョウ』と海外在住者」

わりと風邪気味で、朝から喉が痛い。しかし週明け早々に結構いろいろある関係でかなり心配なので、ちょっと珍しく日曜の昼間から休日作業をした。乗り切ってしまえば逆に気が楽なのだろうけど、土日労働は最終的に毒となって鬱積するので、健康に良くない。今週後半は日本行かなくちゃいけないし、このまま体調を崩すといろいろ死ねるので、年初に来ていた友人が置いていったプーアル茶を飲みまくる。彼が蓋碗(椀に蓋をして蓋を押さえてお茶を注ぐやつ)をくれたので、より屈託なく中国茶を淹れられるようになった。

私は何か食ったり飲んだりするときに、どうしても洗い物を意識してしまうので、急須より茶葉や茶渋を洗いやすい蓋碗の方が性に合っている。
「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」で、たまに洗い物と食事の関係に言及されるのだが、第2巻で出てくる、「卵かけご飯の生卵 いつかける?」収録の名ゼリフ「食器洗いは クリエイティブじゃないからさ……」には、私もかなり共感できる。

人間にとって最も罰として辛い作業は、左にあるものを右に運ばせて、さらにそれを左に運ばせて・・・の不毛な作業の繰り返しだというが、洗い物というのは、Aの状態だったものを食事でBにして、それをさらにAに戻す作業なので、食事があるぶん無意味ではないが、基本的にはAからAに遷移させる、何も生み出さないユーザーエクスペリエンスだ。

それでいうと、洗い物の意味は、基本的に「食べる」ことによってどうにか生まれる状態なのだから、食事をしなければ洗い物をする必要はない。ゆえに洗い物は食事というエクスペリエンスの一部として考えたほうがよくて、家で自分で洗い物をしなくてはいけないときはなるべい洗い物が大変ではない手法で何かを食うというのは、「食事」というものをどこからどこまでと捉えるかなのだと思う。

「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」は、そのへんの繊細な描写が素晴らしいし、海外在住者にとっては「1日外出録ハンチョウ」と並んで郷愁をそそる漫画だ。

「1日外出録ハンチョウ」については、実ははからずも、かなり正確に私たち海外在住者の欲望と境遇にリンクしている物語だと言える。「カイジ」に出てくる地下労働施設で地下チンチロリンを取り仕切っている悪役を主人公にしたスピンオフ作品だが、この人たちが、たまに地下労働施設から「一日外出券」を使って地上に出て、好きなものを食ったり、温泉行ったり、娑婆の生活を楽しむというものだ。

海外に住んでいると、やはりどうしても、東京という飲食に関しては最強とか言いようがない場所への郷愁は大きいし、まともな温浴施設もないし、何より全体的に風情がない。ニューヨークの風情っていうものはあるにはあるんだが、基本的に「道にウンコがよく落っこちている」とか「エアコンが窓から飛び出してて怖い」とか「いつのまにか地下鉄が停車駅を飛ばしている」とか「地下鉄駅のエレベーターがおしっこ臭い」とか、アレな風情が多すぎるので、自然と東京への憧れというものが強まる。

「ハンチョウ」における「限られた地上での時間で何を食おうか」的な描写は、そういう意味で一時帰国した海外在住者の心象風景や行動傾向にシンクロしている。しかし、班長と私には大きな境遇の違いがあって、私の場合日本への出張は夏以外は極めて短期で、基本的には人と会い続けることになるので、班長たちのように休日を過ごすことは基本的にはできない。日本に行ったらわりと働いている。

ああ、浅草のホッピー通りで昼間っから競馬中継でも見ながら1人で誰か自分と関係ない人の炎上をTogetterとかでまとめてあるようなものとかを読みながら飲みてえ。