1214「あまり承認欲求をいじめてくれるな」

昨日は終電前に会食が終わって、ぎりぎりで間に合いそうだったので、JRに乗って世界で何番目かに尊い場所である三宮の神戸サウナに駆け込んだ。よもや、神戸サウナに立ち寄ることができるとは、これで平成という時代に思い残すことはない。
そして朝から東京にトンボ帰りして、またずっと人に会っていた。全体的に私のする話に関心を持っていただいてありがたい。なかなか手は動かせないが、楽しいなあと思う。

渋谷の駅で、ホンダのかっこいい広告を見た。たぶんきっと日本では話題になっているのだろうけど、「承認欲求」とかそっち系のフレーズに打ち消し線をひいてあるあれだ。あれはとても意思が強くてカッコいい、質実剛健さを持った広告だとは思うが、私個人としては、結構「ウッ」となってしまう。

なんか、例えば自分の顔のほくろでも薄毛でも何でも良いんだけど、身体的特徴を否定されたような気分になってしまうのだ。

私は広告の仕事もするので、これが広告のやり方として全然正しいとは思っている。すごく端折ると、話題になって、議論を呼ぶ広告は良い広告たと思う。

業界の多くの方を知っているので、十中八九この広告は知っている人が関わっていて、ヘタしたら巨匠とかなんだけど、たぶんこの広告についてどうこう言うのは、そういう意味でつくった側の狙いにかなうことだし、ひさびさに東京帰ってこれを目にした一消費者として思ったことを書いてみる。

承認欲求というものは、生理的な欲求に近いものだと思う。何しろ人間社会、人の間で生きているわけで、承認されないで無視されるのは、つらい。
私なんかは、子供の頃、承認されないがちないじめられっ子だったので、承認されることに飢えていたところがあるし、反動かわからないけど承認欲求の塊みたいな人だ。隠れて書きゃ良い日記をこんなところで晒している時点で、承認欲求を放射してるようなものだろう。

承認欲求という言葉をカッコ悪い概念として扱って、「そのダサい承認欲求から開放されろよ」的なマウンティングをするコミュニケーションは、この広告に限らずいろんなところにあるが、 承認欲求ないわけないだろう。逆にお前は神仏に誓ってそんなもんないと言えるのか、と思う。

私はそこに時間を割くのが面倒なので、たとえばインスタグラムで映え方をグロースハックする、みたいなことはしないけど、ちゃんとそれをやる人の努力は素晴らしいと思うし、バカにするのは嫉妬の裏返しというものだろう。嘘とかは良くないけど。

もちろんこの広告は恐らく、「承認欲求とかインスタ映えとかフォロワー数とかに振り回されずに自分の道を行こうよ」というメッセージで、それは1つの素敵なメッセージだと思う。
とても良くわかる。
しかしそこにグラフィックとして横線引いて打ち消しちゃうと、それは明確に対象を否定することにはなるので、「そこまでとやかく言う権利ないじゃん」とか、「あんたらに言われる筋合いないですよ泣」とか、私は思ってしまう。

自分の名前に打ち消し線が引かれている気がして、すごく悲しくなってしまう。

みんな寂しいんだから、あまり人の承認欲求をいじめないで欲しい。目の敵にしないで、それこそ人のことは放っておいてもらってあなたはあなたを走って欲しい。

なかなか承認してもらえなくて苦しいんだから、努力もするだろう。
人間は承認欲求と折り合って生きてかなきゃいけないし、それが人間を人間にしてるんだから、横線引いて否定しちゃったら追い詰められちゃうじゃないですか。