0507「デジタルを一生やる」
今日も朝からあまり明るく前向きな感じではなく、日中会議やら来客やらいろいろあってあんまり作業ができる状況にもなかったのだが、開発中の美術館のサイネージ用のボタンの回路を延長しなくてはならなくなって、不意にハンダづけをしなくてはならなくなった。いまニューヨークにそういうスタッフがいないので、自分でやらないといけないのだ。
たぶんそうなるだろうと思ったが、こういう作業は本当に救ってくれる。愚直に銅線を揃えてハンダを溶かしてくっつける。そこを熱収縮チューブで覆う。もうずっとこの作業をしていたい。手先不器用だからハンダづけ苦手だけど、その後の熱収縮チューブは超楽しい。黒いわけぎみたいなチューブでケーブルの銅線が露出した部分を覆ってドライヤーで温める。そうするとチューブがシワシワシワッと締まって銅線が保護される。この、シワシワシワ、キュッみたいな瞬間が気持ちよすぎて、「アッ」となる。
すぐに作業が終わってしまったが、終わってほしくない。
昔、日本のなんかのイベントで講演をしたときに、結構メインスピーカーだったのに、同じイベントに出ていたチームラボのインターンの大学生に、なぜか壮大な勘違いをされ、「あなたも同じインターンなんだね! お互いにがんばろう!」と言われて、「・・・がんばります」と言ったことがあったが、チームラボのインターンって熱収縮チューブの作業多そうだからむしろチームラボのインターンをやりたい。あるいは熱収縮チューブ作業専門の会社をつくってそっちをやりたい。
あんまりそれとは関係なく、いま自分が学生あるいは20代で自分がやっているようなデジタル制作っぽい仕事をやりたいと思ったら、たぶんチームラボに応募すると思う。同じ業界で長い間働いていると、いろいろ思うところがあっても、自分が仮に何かそういう仕事をやりたい、という目線で見たときにあそこで一生懸命やることが一番腕を磨くことにつながりそうだし、あまり経験できない大きな現場にも入れるはずだ。思った部署に入れなくてすぐ辞めたりしそうな自分も容易に想像できるが、若い私はそんなことを想像できないので、すごくチームラボで働きたいと思うだろう。
業界に慣れてしまうとすぐに忘れてしまうが、たぶんそういう感覚というのはとても大事で、実際のところどうなのか云々ではなく、自分たちがやっている会社なり組織なりが、若い、ものをつくりたい人たちにとってどういう環境に見えているかというのはわりと気にした方が良いことのように思う。
「面白いもの・良いものをつくって死ぬ」でも良いが、そのつくったものを通してであれ、組織そのものであれ、なにがしか文化として後に「におい」を残していかないとちょっと寂しいし、いくら強くったって呂布みたいな人生やだな、と思うので、いろんな形があるが、一つのルートとして、外の人から見てキラキラして見える、楽しくてやりがいがありそうに見える何かを動かす、というのは捨て置けない要素な感じがする。
私たちが仕事をしているデジタルっぽい業界は、まだ歴史が浅いので、ずっといろんなプレイヤーが花火を上げては盛り上がり、そのうちに別のプレイヤーが花火を上げては盛り上がる、みたいな感じで、みんな新しいことをやって頭一つ抜けることに躍起になって都度都度刹那的に盛り上がって落ち着く、みたいなことを繰り返してきた感じがする。ただそれは歴史が浅いがゆえにまだ事例がないだけで、本当は何十年もずっとブレないで同じことをやっているようなチームが最終的に他には出せない光を発し始める、みたいなことがあり得るのではないか。
アプリなんかでも、みんなに使ってもらえるスタンダードなアプリをつくるための最も有効な方法は、ユーザーの動きを見て、細かいチューニングを重ねて、じっくりと育てていくことだったりするわけで、インストール広告とかで一時的にランキング一位を取っても後には残っていかない。
私なんかはテクノロジー絡みの仕事なので、新しい知識や経験に全然ついていけなくなったらテクニカルディレクターとしては引退しなくてはならないので、新しいことはやっていくが、わりと、それをやりながら愚直な職人として10年間しっかりと役割を果たすことで変わってくることがありそうな気もする。
しかし、デジタルの業界は、そういう成功事例があんまりないがゆえに、真面目に積んでいる人たちが割を食う形になって、心が折れてしまう人もいる。
ずっとファーストフードが脚光を浴びて、煮込んだスープの価値をわかってもらえない。
しかしそれだと最終的に粉も出なくなっちゃって、デジタルの仕事が一生やる仕事として幸せなものにならないんじゃないか、という気がする。
まあ私自身は刹那性に満ちた仕事をやり続けてきたので、そんなこと言っちゃいけないんだが、そういう世界観の中でものをつくってきて、ジョン・スカリーがスティーブ・ジョブズにペプシから引き抜かれるときに言われた「このまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか?」みたいのを自問している人が増えつつある気がする。自分がそっちに傾いてBASSDRUM をつくったところもあるのでバイアスかかっているのだけど、この仕事を一生やる価値のあるものにするときに、そこは避けて通れないよなあ、と思ってしまう。この仕事楽しいから一生続けたいんだが。