0428「『家族サービス』と『人工知能』」
日本がお休みだと、夜ミーティングが詰まったりしないのでちょっと楽ではあるが、しかしそれでもいくつかミーティングがセットされている。皆様、お疲れ様です。
今日はあまり大したことをしていない。ちょこっと仕事をしたり、SwitchのJoyCon(横にくっついてる脱着可能なコントローラ)がなんか壊れていて、長男から借りても遊べないので替えを買ってきたり、うちの横の通りが封鎖されていてお祭り的に屋台が出ていたので、それに下の子たちを連れて行って、飲み食いさせたり、バルーンアートをつくってもらったりしていた。
ニューヨークの路上ではこういうストリート市みたいのをたまーにやっていて、ケバブ焼いてたりソーセージ焼いてたりで、基本的に肉を焼いているようなものが多かったり、謎の石を売っていたりという感じで、まあ日本のお祭りのほうが美味しいものが多いし素敵であるのだが、ストリートにテニスコートみたいのをつくってみたり、アメリカらしい遊び心がわりとある。
バルーンアートをもらって歩いていたら次男が一部を割ってしまって泣きそうになったので、戻って修理してもらったりとか、長女がその横でいじりまくって部分的に割りまくったりしているうちに、次男がまた一部を割ったりして「もう全部割っちゃうよ!」とか怒り出したりとか、小さい子達にバルーンアートを持たせて歩くのはとても大変だ。
で、先週のお休みからなので、こういうことを書いたりとか、「お休みもらって家族でどこかに行きます」なんていうと、日本で一緒に仕事をしている人たちから結構悪気なくある言葉を言われることがあるのだが、個人的にずっと違和感がある言葉なので、日本はいわゆるゴールデンウィークで、この言葉を自然に実施している方々も多いと思うので、問題提起してみようかと思う。
その言葉とは「家族サービス」である。特に海外に移住して以降、この言葉への違和感は強い。なぜかというと、この「家族サービス」という概念に対応する英語は存在しないし、たぶんこちらには「家族にサービスする」という発想がないからだ。しかし、日本の方とお話していると、「休み頂きます」なんていうと「家族サービス頑張ってください!」なんて応援されたりする。言葉狩りをしたいわけではないし、言っている方々に悪気がないのは完全にわかっているのだが、しかしこの言葉はおかしい。
「家族サービス」という言葉の主語は恐らく多くの場合父親だ。お母さんが「家族サービス」をするということもあるのかもしれないが、あんまり聞かないような気がする。つまり、「普段外で働いていて家族に構うことができないお父さんが、休み中なりに家族と一緒にいる時間をつくって家族に対してサービスを提供する」、というニュアンスがそこにあるような気がする。違ったらすみません。
私なんかの場合、外で働いてもいるし、なんか出張も多いし、確かに家族とずっと一緒にいるわけではないが、大きな勘違いとして、別に好きでそうしているわけではない。なるべく家族と一緒にいたいに決まっている。妻はしゃべっていて面白いし、長男(12歳)とは文学的な会話ができるようになってきて興味深いし、次男(4歳)も長女(2歳)も、ある種一番かわいい時期だ。出張先の京都のサウナの食堂で、深夜にハイボールを飲りながらずっと家族の写真を見ている。それが私だ。
で、多くの場合、日本人だからといって家族に対するそういう感覚が変わるわけではないだろう。多くの方はなるべく家族と一緒にいたいのではないか。
父親たる我々は家族と一緒にいる時間を確保すべきだ。普通にそうすべきだし、そうできなくてはいけない。しかしなぜ、その上で子供と遊んだり、どこかに行ったりすることが「サービス」、つまり「相手に対する奉仕」みたいに扱われなくてはいけないのか。私だけではなく、多くの人が奉仕のためではなくて普通にそうしたいから家族と一緒にいるのではないのか。父親以外の家族は、父親に「奉仕」を求めているのか? 一緒にいて欲しいだけではないのか? 父親みたいなダサい存在とは、何らかの見返り(=サービス)がないと一緒にいてもらえないのか? あるいは、父親は哀れな扶養家族のためにありがたい施しをするような存在なのか? 家長制をひきずっているのか?
我々の多くは実は「家族サービス」などしていないのではないか? しかし、都合の良い言葉が他に無いから使っていないか? そういう意味で、「家族サービス」って「人工知能」と同じ都合良さを持った言葉なのではないか。本当はちょっと意味が違うんだけど、まあみんな使ってるし便利だからいいや、という意味で、これらの言葉は同じなのではないか。いや、あるいはみんな本当に「サービス気分」で家族と接しているのか?
究極的な話、家族同士でサービスなんかし始めたらその家族はまずいのではなかろうか。実際のところは、「24時間働けますか?」の時代に、ヘロヘロに疲れていて休みたいのに子供と遊んだりしなくてはならない人が、「しょうがねえなあー」なんて言って家族をどこかに連れて行くことを自虐的に「サービス」と呼んだことの名残とかそういうようなものなのだろうと思うし、そういう「日本史」を投影した言葉として貴重ではある気もするが、まあもうリアルタイムでは、「昔はそんな言葉を使った時代もあったよね」ということにしても良いような気がする。
で、Twitterで「家族サービス」を検索すると、何しろゴールデンウィークなわけで、わんさか家族にサービスをしているサービスプロバイダたちが出てくる。みんながいま、一斉にサービスを展開している。みんなえらく楽しそうで素敵だなと思う。
繰り返すが、私が暮らしているアメリカにはたぶんこれに対応する言葉は無いし、そもそも発想がない。もし仮にいま、家族と時間を過ごす中で「サービス感覚」が入っちゃっている人がいるとしたら、それはちょっともったいないし、今の時代にはあんまり意味がないので、サービス感覚抜きでゴールデンウィークを楽しんで頂ければ良いなと思う。
アメリカにはゴールデンウィークなどという素晴らしいものは無いので、うらやましいのだけど。