一杯のインスタントコーヒー
こころの幸せレシピ⑫
シェフ 梯真由美
【材料】
思いやり カップ1
よろこび 無限大
【調理法】
通うこころを重ねます。
眼科の個室に入院していました。
古い病院で、個室とはいえベッドと水道があるだけで
個人用にポットを持って行くのも認められていませんでした。
ステロイドの点滴投与で、からだがほてり
11月でも夜に窓を開けないと、
暑くて暑くて仕方がありませんでした。
寝ては冷めての繰り返しですが
朝方、カップ一杯のインスタントコーヒーを
ひとりで飲むのが好きでした。
夜ごはんの前に、
ステンレス製の魔法瓶に入れてもらっているお湯は
早朝にはもう、あつあつの温度ではないのが
残念だなぁ。と感じていました。
入院してしばらくすると
ある看護師さんが夜勤のとき、朝方の見回りの後
そっと熱いお湯に交換してくださっているのに
気づきました。
その看護師さんの泊まりの日が、楽しみになりました。
「きゃっ。明日の朝には、熱いコーヒーが飲める」
看護師さんの無言の心遣いと、私の嬉しい気持ちが、
今もこころに残っています。
・・・・・・・
「迷惑をかける」ことと
「人の力を借りること」は同じではないのになぁ。
と思うことがあります。
大きな病院で、レントゲンや血液検査など
いつもと違う場所に行く必要がある時や、
駅での列車乗り換えの時などにサポートをお願いすると
時々、「ひとりで来ちゃったんですか?」
と言われることがあります。
「盲導犬がいるのに、サポートが必要なんですか。」
と聞かれることもあります。
ほんねを言うと、
病院なら病院の職員さん、駅なら駅員さんなど、
一般の人ではなく、その場で『働く人』がサポートするもの
という風潮がどんどん強くなっていくのも、
どうなんだろうな。と感じます。
それから、私は人よりサポートを受けることが
多いかも知れませんが、
いつもサポートされる側ではなく、
サポートする側にもなり得ますね。
「人に迷惑をかけてはいけない」ことが
「人の力を借りてはいけない」と同じならば
私に限らず、誰ひとり生きてはゆけないと思います。
一昔前、私の育った環境では
『困ったときは、お互いさま』という概念が当たり前で
人とのつながり、支えあいがありましたが
いつからか、ちょっとした手助けが、
難しくなってしまったように思います。
ただ、人の手助けが不可欠なとき
サポートする人に、「煩わしくて嫌だな」と感じさせるのではなく
可能な限り、お互いの状況を分かり合えるものでありたいと
感じます。
迷惑をかけないように生きるよりも
気持ちよくサポートを受けられるように生きたい。
と思います。
【調理のコツ】
にこやかに頼めるように学ぼう。