【文学フリマ】文フリや詩集や愛のはなし(亜久津歩)
こんばんは。Qaiのnote5月26日号、担当は西川火尖と亜久津歩です。いま5月26日午前11時です。文フリを終えてから一昨日までだいぶ黒い日程で仕事をしていまして、昨日は子の運動会で一瞬で今朝で、今です。5月はどこへ消えた? さてさて。
▶︎文フリっていいよねぇ
今回のテーマは「文学フリマ」。まず思うのは「文フリっていいよねぇ」ということ。久しぶりの出店だったのでより感じたのかもしれません。文フリって、およそ儲からないでしょう。にもかかわらず、あんなに集まって本を並べて、座って。作るのも大変だったでしょう。おかねも時間もかかるし、売れる・読んでもらえる保証なんてないし。でも作りたいんだよね。この健気さというか愛がね、しみじみ好きなんですよ。
売り手もわいわい、お客さんも賑わっているブースもあれば、ほとんど人の来ないブースも、一人きりの売り子さん(著者本人でしょう)がうつむいてずっと本を読んでいるブースもある。若い人もいれば年配の人もいる。赤ちゃんを抱っこしている人も。来場者数は過去最多だったと聞きました。みんな自分なりのブンガクが好きなんですね。一生懸命に何かを好いている人が、わたしは好き。
昨年ね、初めて二次創作の世界に足を踏み込んだんです。読み専だったんですけど、描いてみたという意味で。それで驚いたのですが、二次創作の読者の方々(ジャンルにもよるでしょうけれど)って、すごく熱心にリアクションをくれるんですね。ここが良かった、大好き、とうとい、次も読みたい、描いてくれてありがとう。どう見てもヘタクソなんですよわたし。原作の、キャラクターのちからにあやかっているだけ。それでもあたたかくてこちらが感激しました。一次でこんな風に言ってもらえること、正直殆どないし。昔いただいた感想のお手紙をたからものにしているくらい。や、それはそれでいいんですよ、精進しますハイ。
それでも、その孤独というか。深海に座るような暗渠に花を流すような作業を知っているだけに(誰もがそんなんじゃないけれど)、あの文学フリマという陸地の明るい活気がね、いいなぁ、たまにはこういうのもと、しみじみ思うんですよ。人の作った場で人の集まるところですから課題もあるでしょうけれど、総じて。行ったことのない方は行かれてみてはと思いますし、出店してみるのもおもしろいと思います。
▶︎ゲットしたおたからたち
当日、入手したものを羅列します(順不同、いま取り出した順)。「てつき 1」『光と私語』のペーパー(いぬのせなか座)・「2018.4」(h著/いぬのせなか座刊)・「私的なものへの配慮 No.3」(笠井康平作/いぬのせなか座刊)、夏野雨詩集『明け方の狙撃手 The Shooter in the Dawn』(思潮社)、「餃子人 その1」(餡:中家菜津子 皮:カニエ・ナハ/カニエ・ナハ刊)、「Solid Situation Poems」(稀人舎)、「ポスト戦後詩ノート16号 広瀬大志特集」「なぜ詩を書くか vol.3」(詩の練習)、「て、わたし」4号・フリーペーパー「てさぐり」(てわたしブックス)、連句誌「みしみし」創刊号(みしみし舎)。
白状しますが、冒頭に書いたスケジュール感でしたからほとんど読めていません。ということで、「なぜ買ったのか」を書きますね。
▶︎それを「買う」に至った理由
店番の隙を見て、いぬのせなか座ブースへ小走りで向かった。素朴にファンである。今回入手したA4版の3冊のどれも、持っているだけでうれしい。立ち読みというかぱらぱら見て即「買います」と連れ帰ってしまったがとても満足している。さりげなく緊張感のある本の洗練された佇まい、ひらいたページの整然とした美しさ。ああ!
だが持っているだけでうれしい自分が、よいファンなのかは知らない。彼らが試みたことのひとかけらも、わたしは理解していないだろうから。彼らの思考は、言葉はむずかしい(好き)。わたしにはただ、いぬのせなか座がさわらせてくれる版面に魅了されることしかできない。書体も字間も行間も字の向きもバランスも色も質感も、彼らの選択のひとつひとつに。もしかすると、ただWikipediaをいくつかコピーしただけの内容でも惚れてしまうかもしれない(そう考えるとこわいな、たとえばどんなテキストだったとしてもすてきに仕上げられるんだろう、なんてふと思った/今ある作品への批判ではまったくないです)。
それとわたしは「オシャレぽいけど読みづらい」デザインは、あまり好きではない(読みづらさを織り込んでの作品は別)。トシのせいもあると思う。可読性が高いこともいぬのせなか座の魅力の一つだろう。デカくて読みやすいのにオシャレ、実は難しいのである、べんきょうになります。
あっ、「内容にはふれず」と書いたけれど「私的なものへの配慮 No.3」は巻末が良すぎて買ったので引用しておく。
もう生き返らない。みんなはどう思う?
ここには結末の一文が挿入されます。(562)
562……どこ?
※「562」は注の番号
――予定の時刻をすでに超過し、息子たちのおなかがすいたコールが響いています。今日なんでこんなに暑いの? 金魚ゆだりそうだしPCからへんな音がする。
「みしみし」は同じブースで、Qaiの同人の箱森裕美さんが頒布されていたから。「連句」というものをホンワリとしか知らないもので、これを機に読んでみます。わくわく。「て、わたし」は読みたいなぁと思いつつ積読の圧に負けて先送りにしてきたのを、エイヤッと。4号を選んだのは、最初に瀬戸夏子さんが書かれていたから。「Solid Situation Poems」は川口晴美さんのTweetで気になっていて……というか2017年の発行以来ずっと気になっていて、やっと入手。シチュエーション「女子校」で関悦史さんとかおもしろくないわけないと思って臨むも想像以上だったので脳の白旗が止まらなかった。「詩の練習」のフリペは同じ稀人舎さんブースでいただきました。まとめての紹介、恐れ入ります。
そして、カニエ・ナハさんブースで『明け方の狙撃手』と「餃子人 その1」を。まず「餃子人」のわけのわからなさ最高過ぎません? どれにするか迷っていたところ、カニエさんが「餃子人」制作中疲れすぎて本文横書きなのに右綴じにしてしまったというお話を聞いておもしろすぎて買いました。
立ち読みをさせてもらえたので内容にも少しふれます。実際、餃子が出来ていく絵に従って読んでいくのが正しいのでしょうけれど、巻末から逆向きに一行の横書きの詩として読んだり、見開きごとに読んだりしてもそれはそれで味わいがあり、餃子ひとくちで何度もおいしかった。「その2」も食べたい。
夏野雨詩集『明け方の狙撃手』。ため息が出た。なんて愛しい造本でしょう。満月とオーロラ、丘の上の動物たち。オレンジの背景につや消しの金箔で置かれたタイトル、アスタリスクは一番星のように小花のように。大切に大切に作られた本だと一目でわかる。来世、詩集になれるなら、こんなふうに生まれてみたい。
この本の奥付には、著者・発行者の他にもたくさんの名前が記されている。ブックデザイン、装画、英語協力、解説、編集……エンドロールのように、人の余韻を残している。詩を作るという行為は孤独なもので、それは愛すべき孤独だけれど。いくら言葉をイメージできても、データを操れても、一人で本を作ることはできない。詩がたましいなら、紙は肌、インクは血、たくさんの道具と人の手によって産まれる新しい存在なのだ。この詩集はそんなことを思い出させてくれた。
(著者の夏野雨さん、ブックデザインのカニエ・ナハさん、英語協力の大輪志龍さんにサインを寄せ書きしていただきました☺️)
▶︎詩のあるところで会いましょう
SNSなんてやっていると、ときどき思い出したように、数売れない本なんて・自費出版なんて、みたいな話がもっともらしく浮上してくる。何度聞いても極端で虚しい話だと思う。商業的な価値も、あるいは賞レースも、定規のひとつに過ぎない。
人間が死ぬまで生きていこうというときに、どうすればしあわせを感じられるか、時間を豊かにできるか、己を満たせるか。わたしはこれからも詩を作るし、文字にしたいし、本を持って人のいるところへ行くだろう。たとえば文学フリマとか。そこでお互い、笑えたらいいね。
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