推したり萌えたり|振り向かせたい|西川火尖
こんばんは、10月最終日曜、今日の担当は西川火尖です。
歌手やキャラクター、芸能人といった「推し」に適した距離に推しと呼べる対象を持たない火尖は、今月のテーマ「推したり萌えたり」をどう書くかに時間がかかって、メンバーに順番を代わってもらって、あれこれ思案してたんですね。今も考えながら書いています。そして月曜になりました。
所属してる俳句結社「炎環」の同人になったのが12年前、当時のコメントに同期入社で付き合いだした版画家の恋人について触れ、俳句をほとんど読まない彼女が面白がってくれる作品を作りたいと書いています。
彼女の作品が好きで、それと同じくらい、彼女の在り方と審美眼が好きでした。彼女を通して知った映画や小説、美術作品はどれも強い力を持っていて、自分の世界の範囲を広げました。
そうした体験を何度か重ね、いつしか、彼女に自分の俳句作品を見せたらどうなるだろう、ヘンリー・ダーガーやホルスト・ヤンセンとまではいかなくても、いや、俺の俳句ならいけるはずだ。俺が彼女の作品を好きなように、きっと、ものすごいインパクトを彼女に与えるはずだ、そうあってほしいと思うようになったのです。推しを振りむかせたいと思ったのです。
用意は周到でした。俳句を読まない彼女に自作を読ませるのです。いきなりはダメです。まずは俳句のイメージを宗匠頭巾を被ったお爺さんのイメージから現代俳句にアプデする必要があると思いました。そこで図書館で大木あまりの「火球」を借り、彼女に見せたのです。彼女の反応は上々でした。「今まで知っている俳句とは違う。これはすごいね」というのです。次に飯島晴子を見せました。これもうまくいきました。ずっと彼女を見ていたんです。ここでチョイスを外すわけはありません。そして、この二人の俳人は自分の作風に影響を与えた俳人でもあります。満を持して私はちょっと俺の句も見てくれない?と言いました。しかし結果は、通読すらしてもらえませんでした。読んでいる途中で「これは違う、これ以上は読み進めることができない、俳句独特の言い回し、漢字の難しさもあるのだろうけど、とにかく頭に入ってこない」というのが彼女の評でした。
俳句あるふぁの若手企画「明日を担う俳人」では、福田若之さんの
てざわりがあじさいをばらばらに知る
を他の並んでいる俳句とは全く違うと非常に高く評価していました。私は彼女にどういう句をいいと思うのか聞きました。
「俳句をほとんど読まない私には上手いとか下手とかは分からない。ただ、そうでなくてはいられないものは分かる。そういう根源的な俳句が好き」というのが彼女の答えでした。
「火尖の俳句は、もしかしたら、俳句としては洗練されたものなのかもしれないけど、その洗練の先に私が好きだと思えるものはないと思う。」
彼女にとって根源とは何かを私は問いました。
「書かねばならない、書かずにはいられないという衝動、情動に突き動かされている俳句は根源的に思える。君にはその欠片すらなくて、あえて言えば締切が来るから書いたに過ぎない、そう思える。そういうものに価値がないとまでは言わないが、結局好みでしかないなら、全く好みではない」
もちろん、自分の俳句は締切だけを理由に書いたものではありません。それでも彼女にとっては違う。通読してからの評価を求める段階にすらたどり着けていない。12年経っても。
彼女と彼女の作品、知見は私の推しです。そんな彼女に推されたかったな、振り向いてほしかったな。
でも唯一、彼女が評価する私の句があって、最後にそれだけは置いていきます。
栗の花疎ましきもの死後その他 西川火尖
しかし、全く専門外の彼女から「根源的な俳句」というワードがでるとは思わなかったな。鋭い審美眼の持ち主は、本人が知らずとも、俳句の歴史に刻まれたものを射貫くのだろうな。まじで推せる。そして、これらの発言を全部、花澤香菜さんの声真似でやってと頼んだらしょうがないなぁってやってくれるのが最大の萌えポイントです。萌えです。
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