あざらしヶ丘学童クラブ保育日誌より

【記録者】支援員・田羽
【日付】2024/6/13
【登所人数】36名
【職員体制】5名 うち障害児加配1名
【おやつ】ベーコン巻きおにぎり、プリン
【保育内容】
 1年生13時半、他15時下校。①かずむマイクラレゴ確保したいがためにまた宿題ごまかし。石峰さんの手作りおやつ今回も好評。
 外遊びはザリガニ釣り。室内では田羽、③やよいとキメラ創作。生き物をふたつ言うとそれを掛け合わせた新種についてやよいが即興で解説してくれる。おもしろいので図鑑にしようと絵を描いてたら色んな子が集まってくる。やよいはいつもひとりで深海図鑑を読んでるから(悪いことじゃないけど)他の子とのかかわりが見れて安心。何より周りがやよいを受け入れてる雰囲気がうれしい。シャチ×ダンクルオステウスではみんな大興奮!
 ⑤あさのプラ板見つかる。①るな、近ごろ誰かの私物が失くなるたび見つけてくれてたが頻度も発見場所もさすがに怪しい→今日パペットの中にプラ板隠すのを目撃→事務室に呼ぶ。だって落ちてたもんと最初から号泣。落し物を拾ったらまず伝えてほしい、るなが周りから誤解されたら悲しいと話すが「盗んでない」の一点張りで着地点見つからず。妹ができてからチックも増えてる。保護者さんにはやんわり伝えてるがほぼワンオペらしく余裕なさそう。伝え方も慎重に検討。
 ②はるひ すり傷伝え忘れ→明日報告!
 15日→消防点検 17日→見学希望1名
 スキンシップについて再周知(パートも)

 日誌を閉じると定時をだいぶ過ぎていた。さっきまでこどもたちで賑やかだった保育室にひとりでいると変に広く、変にさむい。
 値引きの惣菜狙いでスーパーへ寄ったのに照明がやけに眩しくて結局手ぶらで帰りベッドに倒れ込んだ。こどもの声がずっと響いている。るなの叫ぶような訴えとか死ねと笑い合う声とか。そういう言葉も使いながら使い方を覚えるものとふだんは割り切れるのに、たまに正面から食らってしまう。
 スーパーでクラブの子に呼びかけられていた。何度も。私は聞こえないふりをした。
 窓際で何かカリカリ鳴っている。亀が水槽を引っ掻いていた。去年クラブで飼いはじめ、いつのまにかうちにいる。まだ子亀だが着々と育っていて、たまに脱皮して剥がれた甲羅が沈んでいる。放っておくとすぐ水が臭う。
 水槽から亀を摘み出し、洗濯かごに入れて散歩に出た。港のほうへ近づくにつれ鄙びた住宅街が高層マンション群になる。この辺は埋め立てられた時期によって断層みたいに街並みが変わる。港の奥には米軍基地があり、埠頭の先には風車が立つ。遅くまで営業している打ちっぱなしの灯りが溢れる夜道に亀を放すと地面に腹を叩きつけながら歩きだした。
 球を打つ音がする。いつも同じ曜日、同じ時間、同じリズム。姿は見たことがない。
 昔の恋人は運動嫌いで、ひどい酒飲みで、こうするしかない、らしかった。酒飲みも盗み癖も、浅瀬で溺れる人間と似て見える。
「そこ下りて読もうか」
 石峰さんの膝の上で読み聞かせしてもらっている子に声をかけるとやだと言われた。
 職員はだっこやおんぶはしない。変に疑われないためでもあるし、ここには甘え上手な子もそうでない子もいる。誰かを抱っこしたら誰かは寂しいままかもしれない。
「まあいいじゃない。こんな可愛いんだよ?」石峰さんはこどもの頭を撫でる。「うちの子はもうこんなことさせてくれないし」
「けどミーティングで決めましたよね。保護者会でも周知してますし」
「そっかあ」石峰さんは新種の生物を観察するみたいにじいっと私を見上げてきた。「タバくん小学生しか知らないもんね。赤ちゃんから育てたことあるとね、全然違うよ」
 石峰さんはにこにこしていた。私の顔はどんなだったろう。
 入念に取り繕ってもこどもは何気ない仕草をずっと覚えていたりする。切り取られる瞬間が結局運任せで、私のひどさ——わざと浅瀬を選ぶ人間が自ら溺れたがるのを知ってて砂浜から手をさしのべるような——がどうせ見透かされるなら、そのとき私は石峰さんに唾を吐きかけたってよかった。
 今さら吐き棄てた唾は夜道よりいくらか濃く染みて、気づけば亀はずっと先まで行っていた。向こうの角から人が折れてきて「ちょっとそこ」と足元を指すと間一髪踏まないでくれた。
「亀、めずらし」と言った背広姿のその人は、首から上が恐ろしく巨大で黒ずんでいた。表面が硬そうな皮膚で蔽われていて、突き出した口から牙状の歯が垣間見えた。
 打球音がもうしなかったから私は「もしかして毎週来てます?」と訊ねた。「惰性の趣味で」その人は照れくさそうに言い「可愛い。よく懐いてますね、私はあまり好みではないんですが」と笑って去っていった。
「隊列を組み仲間同士連携しながら獲物を捕える海の狩人は古代の甲冑魚の遺伝子を取り込み海洋の頂点捕食者としての地位を盤石にした。その知能の高さと適応能力で最近では人間を襲いに陸へ上がり始めたらしい」
 やよいの抑揚のない語り口はみんなを引き込む。
「ねえ、そいつってこの辺にも出る?」
「人口の多い海辺を狙うとすれば横浜の港に上がっても、まあ」
 ひええ、こわいこわい。こどもたちは笑いながら悲鳴を上げる。
 潮のにおいがして、幼くぬるい浜風が肌を撫でていった。マンションの灯りがひとつずつ消えていく。亀は海のほうへずんずん進み、私から離れていく。手に持った缶酎ハイを飲み干し、私はそいつのあとを追う。 (了)

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