Real Name
〈幸也〉という文字を、私は読むことができなかった。
校庭ではたくさんの子どもたちが授業で習ったばかりの影踏みをして遊んでいた。広々とした校庭を、私は鬼に影を踏まれないよう必死に駆けていた。そうして疲れてくるとどこか建物の影に自分の影を隠そうと思ったのだけど、まだ陽が高く隠れ場所が少なかったし、目立った影はもう鬼が先回りして見張りをつけていた。そうでなかったら私はあんなところには行かなかっただろう。
へとへとになりながら私は、当時もう廃棟だった校舎まで逃げ、その仄暗い影の中でひと休みしようとした。そこには鬼も、他に逃げてくる子もいなくて、そのときまで私は「ついている」と思っていた。息を整えながらまた駆け出す準備をしているとしかし、ふと背中をつままれるような気配を感じて、振り返るとひとりの男の子が立っていた。
私よりひと回り体の大きなその男の子は、手をだらりと下げて、私から少しずれた視線をじっと私に向けてきた(こんな表現はおかしいけれど、そうとしか言い表せない)。
そうしていつの間にか彼はすぐ目の前に立っていて、やはり重ならない視線で私を射抜いてきた。私は金縛りに遭ったようだった。彼はおもむろに地面にあぐらをかくと、私にも座るように言った。「座っていいよ」そう、それが彼の第一声だった。
私が戸惑いながら膝を抱えてしゃがみこむと、彼は私の額にくっつくくらい顔を近づけてきて、勝手に喋りはじめた。何を話していたのか、私はほとんど思い出せない。たぶん彼が住んでいる地区だとか好きな食べ物だとか、聞いてもいない自分のことを淡々と話していたのだと思う。覚えているのは彼がふたつかみっつ年上だったということくらいだ。
読経のように平板な語り口は退屈で、けれどそんな話し方だったから遮ることもできず、私は相槌も打たずに黙りこくっていた。どれくらい経ったころか、彼は唐突に話を切り上げると、今度は指で地面に文字を書きはじめた。
〈幸也〉
そう書いて彼は私を見上げ(といっても視線は私の顔まで届かず、首の下あたりに留まっているのだけど)「読める?」と尋ねてきた。
私は小さく首を横に振った。それでも何か言わなければと思って「これは何? 漢字?」と聞き返した。
そうだと彼は頷いた。
「ユキヤ。僕のほんとうの名前」
そう言われて私は驚いた。学校でほんとうの名前を口に出す人なんて初めて出会ったから。
私はどう返していいかわからなかった。当時ママからは本当の名前だけは誰にも打ち明けるなと口酸っぱく言われていたから(私が親になったとき自分の子に同じことを言い聞かせるかどうか、私はまだ悩んでいる)、私は自分の名前は明かせない、というようなことを伝えたと思う。いいよ、と彼は言って、それから地面に書かれた名前の一部をてのひらで撫でて消した。
「幸せ」
と彼は言った。それから消したところを書き直し〈幸也〉に戻した。そんなことを何度も繰り返した。私は地面の文字が〈幸也〉になったり〈幸せ〉になったりするのをじっと見ていた。
「幸せが折れ曲がった名前なんだ」
そんなことを彼は言った(思い出したのはつい最近のこと)。それからいきなり(彼の言動はすべていきなりだけど)名前を呼んでくれと頼まれた。困ったけれど、言う通りにすれば帰っていいと言うから私は素直に従った。
「ユキヤ」と呟いて、一度じゃ足りないだろうかと変な気を遣ってもう一度呼んだ。彼は変わらず私の首元を見据えて黙っていたけれど、やがて約束通り行っていいよと言われて、私はやっと廃棟の影から逃れることができたのだった。
子どものころ、学校から帰ると決まってママに抱きしめられた。何があったか、何もなかったか、ということを同時に聞かれるので、私はママの言葉はおかしいと思っていた。だから私はママを安心させるためだけの返事を用意して家に帰っていた。
ママは学校になんか行かなくていいと常々ぼやいていた。ママはありとあらゆる人との接触は有害だという過激な反コミュニケーション主義を持っていて、同時に完璧なコミュニケーション主義も抱えていた。汎心論的立場からすればあらゆる事物に経験が宿っている。そうでなければ無機物だけだった宇宙から私たちのような有機的な経験の宿主が生ずることはない。だから私たちは常に何かしらとの接触に曝されている。私たちは生きているだけでコミュニケーション過多なのだ。そんな世界でどうしてわざわざ自分から他の人間と接触しなければいけないのだ。そんなわけのわからないことをいたって大真面目に、幼い私に向かって話した。一度、授業で配られた十八世紀の奴隷船と二十世紀の通勤電車のようすが並んだ資料を見せたらママはおぞましいと角を生やして怒り狂ってしまった。
私が子どものころは週に一度、学校へ登校する義務が定められていた。仕事も教育も生活も、ほとんど実際的な人間同士の交わりを要さなくなったことで、学校では人との接触そのものを教育する必要があった(そんな必要はないとママは言い張っていたけれど)。ママのいうところの昔の真似事という〈授業〉の中で、バーチャル上での関わり方から精神的、肉体的接触、口の利き方から遊び方までさまざまなことを教わる。正直、わかっていた子はほとんどいなかったと思う。多くの子は晴れた校庭の下で一刻も早く習った遊びを実践したいとうずうずしていた。私もそのひとりだった。
週に一度では友だちもできなかった。そもそも学校では授業用に割り当てられる専用の名前があり、それも定期的に交換されるから誰も互いをどう呼んでいいかわからなかった(やっと呼び慣れたと思うと名前が変わるのだ)。
けれど、ほんとうの名前を知ってしまうと、それまで風景に溶け込んでいたその存在が異様に浮かび上がってくる。〈幸也〉は校庭遊びの時間になると決まって廃棟の陰に身を隠して、呆然と立っていた。互いに笑い合いながら、けれど呼び名を戸惑う子どもたちの中に紛れても、彼の存在は私の中で際立つようになっていた。
そんな無意識の意識が(それを精神的接触と大人たちは呼んだのだろうか)ふたたび私たちを近づけてしまったのかもしれない。
ある日、私はまた遊びの流れの中でぽつりと廃棟のそばに立っていた。するとやはり以前と似たような気配を感じて、しかし今度はいきなり手首をつかまれた。そうしてそのまま私は校舎裏へと引っ張られていった。習ったことのない肉体的接触だった。
廃棟の裏はひび割れた壁と蔦に覆われたフェンスで挟まれていて、学校にあるどんな場所よりも影が濃かった。その中でもひと際暗い場所まで私を連れてくると、彼はこちらへ向き直り「覚えてる?」と言った。
「覚えてる? 僕の名前」
私が頷くと、彼はまたそれを口に出すよう私に迫った。けれど今度は一度や二度じゃ済まなかった。じめじめとした影の中で私は何度も彼の名前を言わされた。私が声を出すたび次第に荒くなっていく彼の息遣いを、私は深層では恐ろしく感じ、表層では可笑しいと感じながら「もっと、もっと」という言葉に応えつづけた。
延々と繰り返されるやりとりの中で、他に彼のしたこと(ほんとうは「私がされたこと」と言うべきなのだろうが、私にはきっとまだその整理がついていない)を私はすぐに忘れてしまった。たぶん私の無意識が勝手に記憶の底に葬ったのだろう。だからもちろんママにはそんなこと伝えなかった。
それから学校で彼の姿を見ることはなくなった。転校したのだろうかとも思っていたけれど、今思えばそれもまた私の無意識が彼の存在を風景に押し戻しただけなのかもしれない。私は自然と(その実、不自然に)彼のことを忘れていった。つい最近まで私の人生からすっかり彼は消え去っていた。
けれど今から思えばあのとき握られた手首の痛みはずっと残っていたのだろう。私は大人になってママから離れると(心の底から清々した)幾人かの人間と接触を持った。けれど一定以上の接触を試みると決まって吐き気を催し、人は私から離れていった。
そうやって私もママのようになるのだと半ば諦めたころ、今のパートナーに出会った。パートナーは何から何まで完璧に尽くしてくれた。それは昔私たちが〈授業〉で習った人との交わり方を教科書通りに模倣していた。私は次第に打ち解けるようになり、今では感じたことのない幸福まで得られている。その過程で私は彼のことを思い出したのだった。幸福になって思い返すと私の経験したことはひどく残酷で、恐怖に満ちたことだと気がついた。そうして恐怖のあとは怒りや悲しみが込み上げてくるはずだったのかもしれないけれど、私にはそのどちらも感じる必要がなかった。私がその体験を語ると、烈火のごとく怒るのも雪崩のように悲しむのもすべてパートナーが代わりにしてくれたから。
そのパートナーに、私はまだほんとうの名前を教えていない。