我々の時代の「道徳の革新」 2019年7月
道徳の議論は古今東西にある。
ひとの社会の根源とその本質が、時代に応じて変化しようとしたときに、道徳は作り変えられてきた。
狩猟から農耕への変化、宗教社会から産業社会への変化、帝国主義から資本主義への変化など、それまでの世代の道徳は、新たな道徳に革新されてきた。
グローバル資本主義、多元的価値観の衝突、科学万能主義、ITテクノロジーの進化、人知を超える可能性を持つ人工知能の誕生、壊滅的な自然破壊、地球温暖化、などなど。
いまは、人が地球の命運を左右する「地球の人新世」になった。我々の世代は、否応なしにこの事実を認め、その責任を全うしなければならない。
人の影響力が加速度的に増す超加速の時代に、過去から紡がれてきた道徳は壊滅の危機にある。
利己の「欲望」をめぐって、功利主義や資本主義、科学主義が世界を覇権した現在こそ、新しい道徳が必要だ。
いま再び「道徳の革新」がされるべき時が来た。いまこそ、善悪の振り子を戻す時が来たのだ。
自分だけの利益を主体に考えた利己主義な諸説、短期の結果だけがすべてと猪突猛進する諸説は、「悪質な問い」である。それは地球全体を袋小路に はまり込ませる「悪質な問い」だ。
悪質な問いにとらわれると、猜疑心 信頼の欠如 閉塞感 にとらわれる。
人々の幸福感が次第になくなっていく現代の病の本質は、そこにある。
行き過ぎた資本主義が「利己の欲望」のためにだけ暴走しているのだ。
では、新しい人の革新において「正しい問い」とはどういうものなのか。
良質な問いを得ると、「自信・協力・充足感」を得られる。
人生において、ひとは何度か「自信・協力・充足感」を得る瞬間を体験する。
幸福なコミュニティの帰属していると実感した瞬間である。しかし、この人間関係が希薄な現代において、その高揚が継続することは稀である。
では、「自信・協力・充足感」を与え続けてくれるコミュニティをどうすれば持続できるのか?
人類において、この「正しい問い」が発せられた時に、答えはおのずと現れる。それを求めるために、この「求道学」は、説かれる。
それは、新たな人の在り方を求め、「人生の偉大さ」を説く旅となる。
それは普遍的なことと、最新の技術・社会状況を踏まえたことの、双方に橋を渡し、今後の人類と今後の人類以外の叡智と、地球と宇宙のすべてのために対する「正しい問い」を立てる旅となるだろう。
それが、人が地球の命運を左右するだけの力をもってしまった「地球の人新世」の時代に生きる我々の時代の「新しい道徳」になることを祈ろう。