「ふかえり」の日 9月-Vol.4
で、この二俣尾駅には、まだ公衆電話ボックスがあった。
逆に言うと、それしかない。
たしかに「なんもない」。
あるのは公衆電話ボックスと郵便ポストだけ。
この感覚がわかる人は、実際に1984年に生きて、1984年に生活したことがある人だと思う。
この、駅になんにもない感覚と公衆電話ボックスだけがある感じが、小説の「二俣尾」を一番感じた瞬間だった。
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