「猫の町」の日 11月 Vol.5
猫の町の療養所、そこは空気さなぎが現れた場所だ。
猫の町で天吾は空気さなぎに出会う。
その空気さなぎの中に「十歳の少女」がいた。
「青豆、」と天吾は口に出した。
さて、空気さなぎの中の少女は、本当に青豆だったのか?
あくまで仮説だが、この少女が、「小さなもの」だとすることはできないか。
空気さなぎの中の少女が、第二の処女懐胎で青豆と天吾が授かった「娘」だとしたら、このシーンはより深い意味を持つことになる。
彼女が「小さなもの」だという印象は、空気さなぎのイメージをなんとかして写真にしようとした時に、直観的にひらめいたことだ。
空気さなぎは、まさしく「母体」の暗示だろう。この空気さなぎの中の十歳の少女は、まさに羊水のなかでまどろんでいる胎児のようにピュアな存在として描かれている。
その気づきが、この直観を導いたのだと思う。
普通ならば、彼女は「教室の世界」の青豆だと考えるだろう。「青豆、」という小説の表記に従って、通常の解釈をするなら、そう考えるはずだ。
でも、この天吾の場面にシンクロする青豆側の表現をみると、この仮説の信憑性は増す。
青豆が拳銃自殺をしようと考えた時に、プールの底を思わせる静寂の中で聞いた「遠い声」。
その声のために、彼女は引き金を引くことをやめる。
青豆にその声が「遠く」聞こえたのは、呼びかけられたのが、羊水の中にいる子供に対してだったからで、青豆自身は、それを羊水の外側、つまり母体側で聞いたから、と考えると、いろいろなことが腑に落ちる。
懐かしい天吾の声を青豆が認識できないはずはない。だって、彼らは100パーセントの恋人同士なのだ。
その声に聞き覚えがないほど、それは遠い場所、遠い時間からやってきた。
それは、明らかに、青豆に直接呼びかけられたものではない。
これは二十年前の「教室の世界」にいる青豆に対する呼びかけではなく、創造主・天吾が十年後の我が子に呼びかけて、その母である青豆の自殺を思いとどまらせたのだ。
つまり、青豆の自殺を止めたのは、天吾だけでなく、奇蹟の子である「小さなもの」と、天吾の共同作業だったのだ。
そのほうが、「聖家族」の奇蹟として、ふさわしくないだろうか。
空気さなぎの少女は、青豆か、小さなものか、「1Q84」らしいのはどちらの仮説だろう。
空気さなぎの現れた療養所で、そんなことを考えていた。