映画激論 「ヱヴァンゲリヲン 破」
個人的には あの時代の あの夏を 思い出した。
あの夏、僕も天才たちと過ごしていた。
クレジットを見て、
あの夏、別の仕事とはいえ
一緒に徹夜してた前田真宏は
いまもいい仕事してると誇らしく感じた。
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エヴァンゲリオンの物語は、リビルトされ、
とても人生に前向きで 男女の関係も明確で
ストーリー全体がポジティブになっていた。
世の人にはこちらのほうがわかりやすい。
なにしろ快調に飛ばしてくれる。
快く我々の想定を裏切っていく。
次回作も多いに期待する。
新劇場版全体の狙いは、
エヴァンゲリオンの単なる再演ではなく、
単なるパラレルワールドということでもなく
「マトリックス」で展開されたような
同じ登場人物によって 同じ世界が繰り返される、
バージョンアップのワールドなのだと思う。
しかし複雑系の世界なので、
違う要素を少しだけ加えると
それだけでストーリーは
大きな変化をしていくことになる。
この世界は、こうして何度も何度もリビルトされ
バージョンアップを繰り返すのだ。
貞本版の漫画もそのひとつ。
新劇場版もそのひとつなのだろう。
しかし、その世界の外側に渚カヲルだけがいる。
予告での
「今度こそ、君だけでも助けるよ!碇シンジ君」とは
彼だけが
前回の世界の崩壊を知っている我々と
同じ世界に存在することを暗示していると思う。
しかし、エヴァの全容を同時代的に
見ている我々の側にとっては
庵野監督の躁鬱病の治療に
10年がかりでつきあわされているような気分だ。
ナディアで燃え尽きた男の
ナルシスティクなダークサイドを
なめるように体験させられた後、
最後の最後に、
劇場で自分たちの「オタク」としての裸の姿を突きつけられ、
「気持ち悪い」とまで突き放された我々との「絆」は、
彼が実写映画を経て、結婚したことで
守るべき者を見つけ出し
ふつうの精神状態になって
造り直した作品のなかで、
回復(リビルト)するのだろうか?
さらに長い年月をかけて
3作目、4作目を創作する過程のまたどこかで
急に醒めてしまって、
追いすがる信者を奈落に突き落としてしまいそうな
危うさを感じさせるのが、
庵野という気まぐれな救世主(トリックスター)の魅力でもある。
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