無責任に推せるという幸せ

これは星野源とかいうクソデカジャンルを推すようになってめちゃくちゃ思うようになった話。

無責任に推せるありがたさ

 クソデカジャンルってすごいよな~!
 時代の変遷もあるとはいえ、いくらでも推しの情報が流れてて、雑誌もあるし、私は選択的に摂取してないけど星野源はラジオもやってるし、今はそれもPodcastに上がってていつでも聴けるらしい(よくわかってない)
 グッズも良心的な価格でセンスあるものがあって、欲しけりゃ買うし「私には取り入れられないな~」って思ったらもちろん買わなくてもいいし。
 無責任って何よって思うでしょうけど、ほんと、マジで無責任に推せる、としか表現ができない。
 しいて他の喩えを使うなら、時間無制限無限湧きの推しビュッフェ
 好きな時に好きなだけ、自分が欲しいところだけつまみ食い。嫌いなものはい~らない、でOK。最高だね。

推し活って何だろう

 これを読んでいる方々、"推し活"ってどういうものだと思いますか?
 よくグッズを買うことなどを「お布施」とか言うよね。
 私は、自分の中ではこれに対する明確な答えを持っている。

 ずばり、推し活とは、年金制度である

私の"推し活"の経験

 私には、"推し"という言葉ができる遥か前に追っかけ始めて解散した、バンギャの界隈用語でいう"本命盤"がいる。
 私がはまって初めて行ったライブから解散ライブまで3年半。
 かつてはバンドマンの憧れの地武道館、ついこの間私が星野源を見てきた横アリでもライブをやったことがあるらしい。
 オリコンで上位に入ったこともあったし、歌番組と音楽雑誌が全盛期に売れていたのもあって、毎月毎月複数の雑誌にインタビューが載っていたこともあるらしい。
 私にとっては全部"らしい"でしかないけど

 私が彼らにハマったのは昔から追いかけていた人からすれば後期も後期で、その頃には既にホールを埋めるほどの人気はなく、O-EASTや今は亡きAXなどの中規模のライブハウスで公演を行うようになっていた。
 CDにはサイン会の券が当たり前についてたし、チケットも割と当たり前に取れて、番号が良ければメンバーの顔がよく見えるどころか触ることもできるような、そういう距離感。最後の方はメンバーは私のことをほぼ個体として認識していた。
 私はそれを当たり前だと思っていたので何とも思っていなかったけど、要は落ち目のバンドに今更感あるタイミングでハマったクソド新規のファンだった。

 本命盤なのにクソミソに言うなと思うでしょうが、これに関しては後に個人で活動していた本命麺とまあまあに話せる機会があった折に、「いつ自分達を知ったのか」と問われてシングルを答えたら「落ち目やん!」と本人自ら言っていたので落ち目ということで話を進める。

 推しが解散や活休した経験がある人はどれくらいいるだろうか。
 終わりに至る道って大雑把に2種類あって、一つはやってはいけない事をやったり、過去にやっていた事実が明るみに出てセンテンススプリングキャノン的なものがぶち込まれて一気にファンが離れる暴落ストップ安タイプともう一つ、ただただ人々の関心が薄れ、ファンが離れてCDが売れなくなっていく凋落タイプがある。
 私の本命盤は後者。まあ、私がハマるよりも前にメンバーが結婚していたことがフライデーされたらしいのでそのころから好きな人にとっては暴落タイプだったのかもしれないけど、結婚は悪いことしてたわけじゃないしね。
 凋落していく推しを応援するというのは、崩壊していく年金制度を前に、それでも受給者のことを切り捨てるという選択肢があり得ない納税者みたいなもんです。

崩壊した年金制度の中で起こること

 アーティストが活動していくのにはたくさんのお金がかかる。
 そのお金はCDが売れたりライブの時のグッズの売り上げによって作られる。
 ファンが減るということは、そういったものを買う人が減るということで、納税者が減るということ。
 でも、アーティストが必要なお金はそんなに変わらない。
 何が起こるかは簡単な話。納税者の負担額が増える。
 CDが出れば必死に買うし、グッズも要らねえな~って思うけど一通り買う。だって買って売り上げにしないと活動資金がなくなっちゃうから。今はチェキとかあるんだよね?当時だったらめちゃくちゃ積んだと思う。

 これが、責任が伴う推し活
 好きだからいいんだけど、苦しいといえば苦しかった(これについては別でnote書こうと思っている)
 特に私の本命盤はグッズが大分クソダサくて、Tシャツとパーカーくらいならいいけどそれ以外のグッズは外で使えたものではなかった…気持ちよく金が払えてたかというとちょっと怪しいし、大変申し訳ないけど本命麺個人の活動のTシャツは買ってないのが殆ど…
 当時はTシャツで働いたり制服勤務だし若かったからTシャツ着れたけど、今は着られるTシャツが限られる。私が激オシャの身長165cmAカップ45㎏とかのサブカルファッション向けの体型だったら今でも着たんだけど今の私が着たら子供が着るのをやめたグッズを着てるお母さんにしかならないので。

年金制度は母数が命

 グッズ、買う人が多いってすごいアドバンテージなんですよ。
 私は個人的にTシャツとジャージ作ったことがあるからわかるんだけど、下限があるとはいえやはりグッズってロットが多ければ多いほど原価が安い。
 で更に、Tシャツとかに払える金額ってどうやっても上限があるじゃない?
 Tシャツなら5,000円超えたらたぶん厳しいよね。よほど凝ってなければ大体3,500円くらいの設定?
 例えば100枚だと原価2,000円、1,000枚だと原価1,000円だったら、1枚当たりの利益が1,000円も違う。
 厳密には売る規模が増えれば人件費とか場所の問題があるからもっと難しい計算だけど、今は通販も便利になったから一定以上の数は通販にしちゃえば現場に来られない人でも買えるしね。
 星野源の現場では横アリ公演2日間でも初日の早い時間にパーカーは当日分全サイズ売り切れたりしてたから、多分作ってるのは万のレベルなんじゃないだろうか。クソデカ規模~!
 更に、規模がでかいとシビアな数で作らないから今は遠征費とかで手いっぱいだけど来月なら!とかってなっても買える。マジに人気で売り切れが出たらファンの母数が多ければ当然欲しいの声も絶対数が多いから再販もかかる。
 規模がちっちぇと売れ残ったら保管すんのも大変だから多分ギリギリのロットで作るし、それで売り切れても再販する体力がない…小規模サークルの同人活動とかもこんな感じなんだろうな…
 基本的には赤字になるといわれているライブにしたって、経済的に一人が行ける回数に限度があるとしたら、支えるために行こうとしたら母数が多ければ無理しなくても余裕がある状態でライブに行って支えられるだけのお金が回せる。
ファンの負担も少ないからこそ、ファンが長くファンでいられるっていうのもあるんだぜ。

無責任って良いの悪いの

 もちろん、相当な人数がいない限りファンみんながみんなそんなんじゃ困るだろうし、デビュー当時から応援してる人は責任の伴う推し活だった頃を経験してるんだろうから私の言ってることめちゃくちゃ腹立つだろうなと思う。
 でも、かつて責任の伴う推し活をしていた身としては、結局はそういう無責任に買ってくれる人が多いことが大事ってのも知ってます。
 なので、星野源ファンは中身推しの方が99.9%の印象があるので多分ファンからしたら顔が好きだぜ!つってる私が推してます~とか言うのもライブに行くのも舌打ちされてっかもな~と思ってるけど、これからも無責任推し活してほしいところだけ買っていこうと思います。
 まあ多分星野源ファン100000000人くらいいると思うんで、私一人くらい顔しか見てなくてもいいっしょ。

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