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旅するココロ

住んでいる地域で行われていた作品展に、4枚の写真を応募した。
その作品展は障害を負った人等が個を表現する為の場で、私もこの30年の振り返りとして作品を創った。タイトルは「旅するココロ」。

1993年に写真の専門学校を卒業し、その後はフィルムの現像所でアルバイトをしていた。
そんな中、写真家の父に誘われてイタリアのジェンツァーノで行われるインフィオラータと呼ばれる花祭りに行った。
父は、その時までに5年近くそのお祭りの撮影をしに行っていた。
それから19年後の2012年に、再度ジェンツァーノに行った。その時はこの市から、インフィオラータを日本に広めたことへの感謝状が市長より父に送られていた。
そしてこの翌年、父はジェンツァーノの名誉市民になった。写真を撮り続けた結果だった。

私は2015年の9月にくも膜下出血となり、その後遺症で高次脳機能障害を抱えてしまった。その障害の中でも記憶障害が強く出てしまった。記憶の代わりに写真で記録に残す様になった。そういった状況の中での自己表現する事は大切だと考える様になっていった。
そんな中、2017年に父が亡くなった。父の遺言に、ジェンツァーノにあるネーミ湖にティースプーン一杯分だけ散骨してほしいと言われていて、2019年にやっとジェンツァーノまで行った。
ただし、この時はまだ一人で旅する事が出来る程にはなっておらず、写真家の先輩に一緒に旅してもらった。
7年ぶりに現地を訪れ、とりあえず父とよく行っていたお店で食事をした。その時に店員に父の話しをしたら覚えていて、父の親しい友人に連絡をしてくれその方が来てくれた。父が亡くなった事を伝えたら残念に思ってくれ、私を花絵造りに誘ってくれた。まさか花絵づくりが出来るとは。
そしてお祭りが終わり、散骨をしに行こうと思ったのだけれど遺灰が入ったケースが見当たらない。自宅に連絡してみたら、遺灰を入れたケースがあると…
やってしまった。一番重要な事が出来ずじまいになってしまった。でも、またこの場所に来る理由ができたと勝手に思うようにした。
しかし、その翌年からコロナ禍となってしまい4年間は行かれずにいた。そして、今年の6月にやっとジェンツァーノへ旅することができ、一番の目的である散骨をしてきた。これで父も成仏できたに違いない。

旅する前のワクワクした「ココロ」
旅している時の感動する「ココロ」
旅を終えてからの郷愁に浸る「ココロ」

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