「軽い力で使える文具」を再定義する
弱い力でも切りやすいハサミ
「弱い(あるいは軽い)力で切れるハサミ」と聞いてあなたは何を思い浮かべる?
関やゾーリンゲンの職人が手作業で仕上げたものか?ロックウェル硬度の高い炭素鋼を鋭角に研ぎ上げたものか?それとも、数学者ベルヌーイが云々と謳って刃にカーブをつけたものか?
弱い力でも使いやすい文具
上記はみな、ハサミで紙を切断する瞬間にハンドルに加える必要のある力を最小限にするための努力であるが、「手の力が弱い」当事者である、車椅子ライターの波子さんにとっては、本質はそこでないようだ。
この本で挙げられている「弱い力でも使える」ハサミは2つ、『フィットカットカーブ ツイッギー』と『サクサ ポシェ』。いずれもハンドルの内側にバネの入った携帯ハサミで、意外だった。
あえて理屈っぽいことを言おう。このような位置にバネを入れるというのは、「切る瞬間に要する力を小さくする」という目的には、逆行する行為なわけだ。
そしてその目的を達成することが、巷ではハサミにおける「弱い力」の定義として扱われている。
しかし波子さん曰く、ハサミでは、紙を切断するときよりも、その後ハンドルを開くときの方がしんどいらしい。これには目から鱗だった。
弱い力と健常者
筆記具の書き心地はもちろん、ホッチキスの綴じ心地やテープ糊の引き心地など、文具では、「弱い力」で使えることが基本性能として扱われることが多い。が、健常者とそうでない方で「弱い力」という言葉の使い方に多少のギャップがあるように思えるのだ。
今回のケースだと、我々健常者は「ハサミ」そして「弱い力」と聞いたときにすぐ刃について語りたくなってしまうわけだが、実際は「刃」という領域の外側に、文具生活をより快適にするヒントが隠れていたわけだ。
そのヒントというものの恩恵は、障がいをお持ちの方に対してとは限らない。事実、俺が『サクサ ポシェ』を使ってみると、親指を、ひたすらハンドルを押す方向にだけ動かし続ければよいことの快適さが、改めて実感された。
弱い力でも書きやすいペン
もう1つ、例を挙げよう。書き味のよいペンについて考えるとき、えてして万年筆のペン先の柔らかさやインクフローの話になりがちであるが、これらはペンポイントが最適な角度で紙面に当たっているという前提の上だ。
一方で、ガラスペンやフェルトペンは、(ペン本体を軸とした)回転に対し対称的な雫型のペン先をしていて、ペンポイントが紙面に触れる角度に対して万年筆ほどシビアでない。
波子さんのように力が弱いと、筆記そのものよりも筆記角度を保つことのほうが疲れるらしく、ガラスペンやフェルトペンがお気に入りなのだそう。
実際に俺が使ってみると、確かに筆記角度を気にしなくていいことの楽さに気づけた。これまでいまいちピンと来なかった、ガラスペンやフェルトペンの持つ快適さの根源に、納得するよい機会となった。
弱い力とストレス
ハサミを開くときの動作、万年筆の角度をキープする動作……これらは必ずしも力学的に「強い力」が要る動作ではないのだろうが、しかし確かに一定のストレスがある。こういったストレスに対して我々よりセンシティヴな、波子さんのような方による情報の発信は、全人類の利益に繋がるのかもしれない。