オノトと日本 〜我輩のペンの名は〜
万年筆くらぶ会誌"fuente"89号に投稿し、掲載された記事を、ここでも一応公開しておきます。
Question
きっかけは2009年の東大の英語の問題だった。というのも、当時、俺は東大を志す高校三年生。その問題は、なんと万年筆についての文章を読ませるものだった。近代万年筆の父であるルイス・ハドソン・ウォーターマンから、エボナイトを発明したチャールズ・グッドイヤーに至るまで(後者は段落整序における「ハズレ」の選択肢だったのだが)、かなりマニアックに書かれていて、ああ、俺もこの年に受験したかった、と苦笑したのを覚えている。
万年筆の歴史について一通り書かれた後で、登場したのはまさかのあの『オノト』であった。「オノト」と聞けば大文豪夏目漱石を思い浮かべる方も多いかと思われるが、あの文章全体の中で最も俺の印象に残ったのは、カナダの女流作家、オノト・ワタンナ(渡名おの登)についてであった。西洋人になぜ漢字表記?と思われる方がいらっしゃるかも知れないが、実は彼女はジャポニズム文学の人で、当時の向こうの人々にしてみれば、この「オノト……」というペンネームの一風変わった響きは、「日本風」に聞こえたのだという。その女流作家こそが『オノト』万年筆の名の起源である、とその文章は語るのである。
実際のところ、彼女の存在自体は以前から知っていた。日本最大級と思われる万年筆のコレクター・歴史家の、すなみまさみち氏の著書『万年筆クロニクル』でだ。彼は万年筆『オノト』の名前の由来について考察する中で、オノト・ワタンナには行き着いていたのだ。しかしそこでの結論は、実際の由来は不明ということであった。ワタンナの娘の手紙に、「万年筆メーカーの人が母を訪ねてきたが、母はそれを丁重に断った」という趣旨のことが書いてあったようである。
しかし、東大の問題では、
※Dela Rue Companyはかつて『オノト』を販売していた会社
※Winnifred Eatonはオノト・ワタンナの本名
と断定的に語られているではないか!この部分までをニヤけて読んでいた俺の顔が、一瞬引きつった。俺は、この入試問題のもととなる文章の著者が、『オノト』万年筆がワタンナに由来するという確証をどのようにして得たのか、不思議でたまらなかった。しかし、不幸なことに、この英文の出典は、大学側から正式にアナウンスされていないのだ。Googleで「オノト・ワタンナ 万年筆」で調べても、『万年筆クロニクル』読者による某万年筆ブログへのコメントと、虚しい「もしかして:〇〇」が表示されるばかりである。
Answer
そうして悶々としたまま時は経て、俺は昨年9月、ついに18歳を迎えた。18歳という節目には様々なものが解禁されるが、そのうち俺が特段嬉しかったのは、国会図書館の会員権である。それにより、デジタルコレクションの個人用送信資料の閲覧や、遠隔複写サービスの利用ができるようになるためだ。前もって、文具や万年筆に関係のありそうな資料を大量にリストアップしてあった俺は、それらを受験勉強の息抜きに(ときには度を越して)、読み耽るのであった。そして、かなり割高な手数料を支払って遠隔複写をお願いし、京都から送っていただいた雑誌『英語青年』に偶然、素晴らしい記事を見つけたのだった。
『オノトワタンナという作家』。そう題されたわずか2ページの文章で、「オノトペン」(文章内では別の教授の記憶により、かつて丸善で売られていたアメリカ製の万年筆ということになっているが、実際はデラルーはイギリスの会社である)もしっかりと触れられていた。なんと筆者の安藤義郎氏はアルバータ在住のワタンナの実娘Rooney氏に直接連絡をとり、真相を尋ねたのであった。そこでRooney氏は、
と述べている。これは先述の伝記の記述とも絶妙に矛盾しない話だ。とにもかくにも『オノト』万年筆の名前の由来はオノト・ワタンナで間違いなさそうである!
また、ペンネームそのものの由来について、「渡名」は「渡辺」を短くしたものであり、肝心ともいえる「おのと」のほうはRooney氏にも不明であるという。日本のことならば何でも知ろうとしていたというワタンナが読んでいた蓋然性も高いというラフカディオ・ハーンの作品『東の国から』の『生と死の断片』に登場する「おのと」に由来する、という説が、この記事内での田中岩太郎氏と、『アメリカにおけるジャポニズム文学の研究』において羽田由美子氏によって紹介されているが、実の娘ですら知らないことだ、真相は定かでない。羽田氏はワタンナとハーンの文体の一致などを例示するが、その信憑性すら、学問に疎い俺にはよく分からない。たとえ「おのと」がハーン由来であったとて、ではハーンの「おのと」はどこから来たのやら、という話になるだろうからこれ以上掘り下げるのはやめておく。
オノトと日本
さて、「オノト」といえば多くの者が夏目漱石、内田魯庵あたりを思い浮かべるであろう。このことになると、えてして
の一文のみが取り沙汰される印象にある。これは、『万年筆の印象と図解 カタログ』と銘打たれて発刊された、丸善の宣伝(「啓蒙」とも言えよう)冊子に寄稿されたエッセイ『余と万年筆』の一節である。さほど長い文章ではなく、『青空文庫』などで全文が読めるので一度は読む価値がある。そこでは漱石は、万年筆のコレクター的趣味には割と否定的であった。オノトペンを気に入っていたのは確かなようだが、その愛情は幾分ドライな印象を覚えた。
と魯庵は残しているらしい。
『オノト』万年筆を使用していた文豪は漱石だけにとどまらない。北原白秋らもそうである。魯庵が多くの文士たちに『オノト』を配っていたという話が、『文具の歴史』の座談会にて丸善の当時の社長の口から語られている。庶民にとっては相当な高級品であったようだが。当時の丸善で売れていた万年筆の要がほかならぬオノトペンであったことは、『丸善百年史』ほか、各文献に度々述べられている。ある広告で魯庵ははっきりこう書いている。
現代においても、日本人万年筆愛好家の『オノト』熱はもはや異様なまでである。2009年に丸善40周年を記念して、長原幸夫氏(「ペン先の神様」長原宣義の息子)による鋳造で作られた万年筆『漱石』が、なんと147万円で3本限定販売された。絶句してしまう拘りようと値段である。
しかし、「オノト」の名前そのものが、まさに「日本風」を由来としていたことをご存知であった方はどれほどいらっしゃるのだろうか。オノトと日本——そこに奇妙な巡り合わせを感じるのは俺だけであろうか。
本文中で述べなかった参考文献
『東大の英語27カ年 第10版』
『丸善外史』
『趣味の文具箱』 Vol.15, 36, 40